風と、雑記林と、建築家夫婦の物語
90歳の建築家、津端修一さん(元広島大学教授、元日本住宅公団)と、
87歳の妻、英子さんは、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らしている。
津端さんは、戦後最大の都市計画ともいわれた「高蔵寺ニュータウン」の基本設計をした人物で、
建築家の丹下健三やアントニン・レーモンドに師事した後、
日本住宅公団の創設期の中心メンバーとして、
激動の戦後日本の“住宅”、“団地”、“ニュータウン”を作り続けてきた。
津端夫妻は自ら設計をした高蔵寺に、完成当時から住み続けていて、約50年が経過した。
その自宅では、50年前に植えた小さな苗木が、今では鬱蒼とした雑木林に成長し、
枯葉をまいて土を耕し続けた畑では、年間を通じて約100種類もの野菜や果実が育っている。
妻の英子さんは、外食はせず、コンビニで買い物はしない主義。
畑で収穫した作物を使って、夫のために自慢の手料理を丁寧に作る日々を送る。
英子さんは言う、「食は命」と。
ふたりが暮らす家は、尊敬するアントニン・レーモンドの自邸を模した、
30畳一間、平屋建ての杉の丸太小屋。
食事も仕事も睡眠も、ワンルームで過ごす機能的で快適な生活である。
ふたりの暮らしぶりは、まるで現代の桃源郷のよう。
90歳と87歳、津端夫妻のモットーは「年を重ねるごとに美しくなる人生」。
番組のナレーションは、女優の樹木希林。
70歳を超えても輝き続ける女性の代表格で、自らの人生の終末について、
その発言が常に注目を集めている。
この番組では、建築家、津端修一さんと、妻の英子さん、
ふたりの暮らしを追った“人生のものがたり”である。
平成27年6月死去、享年90
- ・大正14年(1925年)愛知県岡崎市生まれ
- ・戦時中は海軍技術仕官(少尉)として厚木飛行場に赴任
- ・戦後、東京大学第一工学部建築学科に入学し、丹下健三の下で学ぶ
- ・日本住宅公団発足と同時に入団
- ・多摩平団地、阿佐ヶ谷住宅、高蔵寺ニュータウンなどを設計
- ・広島大学教授、三重大学教授などを歴任
88歳
- ・昭和3年(1928年)愛知県半田市生まれ
- ・200年以上続いた造り酒屋の娘として育つ
- ・妻、英子は
「あしたも、こはるびより」
「ひでこさんのたからもの」
「キッチンガーデンのある暮らし」
など著作多数