二百三十九、
2013/1/11
言葉の揺れ
新しい年が始まりました。今年は日本語にどんな変化が起こるのか、楽しみよりも心配の方が先に立ってしまいます。
予感として「用法に揺れ」がある言葉が増えそうということ。「揺れ」というのは、従来の慣用ではなかった言葉使いが増える現象です。
正月のニュースでは、初詣や福袋セールの混雑を伝えるのに、「たくさんの参拝者」「たくさんの買物客」という表現が使われていました。駆け出しの頃に「たくさんの人が……」とリポートしたら、先輩から「たくさんはモノに使う言葉。人は大勢と言う」と教えられました。
確かに「大勢」は人だけに使う言葉です。それが「震災で奪われたたくさんの命……」のような用法に違和感を持たない人が多くなっています。「大勢」と「たくさん」の使い分けが揺れているのです。
「同級生」を同年齢の意味で使う例も増えました。本来は同じ学級のクラスメートを指す言葉です。今では同じ学校の同学年だけでなく、出身校が違っても同い年なら「同級生」とします。これは誤用と判定したいですが、これだけ誤用が広がると「揺れている」とされるようになってきます。
こういう「揺れ」は、言葉の使い分けの慣用を無視して手近な表現ですませようとする、いわば「手抜き」です。これまでの事例からすると、こういう「揺れ」が始まってしまうと、もう元に戻ることはありません。
本来望ましくない出来事には使わないはずの「可能性」が、「殺害された可能性」「無理心中の可能性」と、「疑い」「見られる」「懸念」等にとって変わったのは代表的な例です。
このままでは日本人の日常語彙がどんどん細っていくばかりです。こんな風潮に歯止めをかけるには、まずはメディアが言葉の選択に慎重になり、事象にふさわしい最適語での表現を心掛ける必要があります。
これまでにも増して、自分の言葉使いの責任の重さを考える年頭になりました。