■宣言で「名古屋をデザインあふれる街に」

 平成もあと3か月…。

 平成元年=1989年の7月15日に名古屋で行われたのが、「世界デザイン博覧会」。実はこの時、ある宣言がされました、「名古屋デザイン都市宣言」です。

 名古屋をデザインあふれる街にするという宣言ですが、平成の30年間で本当にデザイン都市に生まれかわったんでしょうか?

 名古屋の街を歩き、「デザイン都市名古屋」を検証してみると、名古屋とデザインの意外な関係が明らかになりました。

■名古屋ライター「デザイン博で、未来が来た」

 今回、案内してくれたのは、名古屋を深堀りするブログや著書が人気、ライターの川合登志和さん。取材で名古屋の街をのべ500キロ以上も歩いたという「街歩きの達人」です。

 川合さん、特に世界デザイン博には、強い思い入れがあるそうです。

川合登志和さん:
「僕は中学生だったんですけれども、当時名古屋が一気に街並みが変わって、未来が来たなっていうのを中学生ながらに感じたというのはありましたね。その変わった後に生まれた方は、デザイン性あふれる名古屋しか知らないっていうことですね」

■デザイン博きっかけに名古屋のあちこちが…

 そんな川合さんと一緒に、デザイン博の時に作られたスポットを巡りました。

 最初に訪れたのは、何の変哲もない「バス停」ですが…。

川合さん:
「当時、これはビックリした。市バスのバス停ですね。昭和のバス停から一気にコレに変わったんですよ。これがバス停だとは当時、思わないくらいカッコよかったんですけどね。すごい湾曲もかっこいいですし」

 デザイン博以前と比べると、たしかにオシャレ度は上がっていました。

■ピンと来づらい変化もあった

 さらに、足元にも…。

川合さん:
「これがデザイン博の時に導入されたマンホールのふた。名古屋の街をアピールするデザインにしようということで、市のマークと名古屋の色んな景色が出ています」

 名古屋市のマーク「八」を中心に、名古屋城とテレビ塔など名古屋の名所が描かれているんです。

 このマンホールや市バスの色、バス停、そしてゴミ箱など栄の中心部だけでも、こんなにデザイン博で変わった所があったとは…。

■象徴的だった博覧会の「玄関口」

 そして、オシャレなデザインは都心の外にも。名古屋市営地下鉄名城線の西高蔵駅です。

川合さん:
「ここが世界デザイン博覧会の白鳥会場の最寄り駅だったんですね。デザイン博に合わせてこういう外観になっている」

 たしかに、支えているのはオレンジとブルーの柱、一見して地下鉄のほかの駅と違います。また、違いはコンコースにも…。

川合さん:
「当時、『電話がありますよ』とかを示すピクトグラムです。これもデザイン博で結構先駆けで導入されて、マークを見るだけで何があるかわかる。デザイン博は見るだけでわかるマークをウリにしていました」

■天井に「光ファイバー」

 さらに天井部分にはなぜか金網が…。

川合さん:
「デザイン博当時は、ここを光が流れていたんです」

 当時の画像を見ると一目瞭然!天井に光ファイバーが通っていて、近未来を感じさせる作りになっていたんです。

 残念ながら今は、光りませんが、金網の形やパイプの色は当時のままです。

 世界デザイン博をきっかけに名古屋の街並みは変わりましたが、それまでは「白い街」と言われていたそうです。その理由は…。

川合さん:
「それまで名古屋っていうのは、石原裕次郎さんのヒット曲で『白い街』という歌がありまして、名古屋っていうは道路が広くて、ビルが高くて、色彩に乏しいと言われていたのが、デザイン博をきっかけに名古屋の街に色が付いていったんじゃないかなというのを感じますね。今はユネスコに名古屋はデザイン都市として認定されている。平成の30年間というのは、名古屋がデザインを通して、人や町が豊かになっていこうというのを志した30年間だったと思います」

■デザイン博とともに生まれ…

 一方で時代と共に消えていくものもあります、 それが、名古屋駅前のシンボル、『飛翔』です。この『飛翔』もデザイン博の開催に合わせてつくられたモニュメントです。

川合さん:
「まだセントラルタワーズもありませんでしたし、大名古屋ビルヂングも小さかったですし、今よりもビルが低かったので、『飛翔』の存在感がすごく大きかったんですね。かつては噴水になってまして。上から水が流れてたんですけど、道路を走る車にかかるということで噴水は中止になっているんです」

 さらに、夜はライトアップされて、とてもきれいだったそうです。

■姿消す「平成の名古屋・玄関口の象徴」

 しかし、『飛翔』はリニア開業に向けた名駅周辺の再整備計画で撤去され、姿を消すことに…。

川合さん:
「再開発でたぶんリニアきっかけで失われて行くとは思うんですけど、平成の名古屋の玄関にあった『飛翔』ということで記憶には残るかなと思います」

 デザイン博をきっかけにして街の景色も変貌を遂げた名古屋。その精神は、現在へ、そして未来へも受け継がれています。

■「全国2位」のスポットが名古屋に

 いま、名古屋の街でシンボリックな建物といえば、2002年にできた中区・栄の「オアシス21」。

 外国人観光客の間でも、日本で写真を撮りたくなるスポット全国で2位に選ばれるなど、名古屋を代表するスポットとなりました。

川合さん:
「SNS時代になって、人とデザインと街が繋がるようになったのかなという気がしますね」

 そして、「未来」に続く名古屋のデザインスポットも、いま着々とプロジェクトが進んでいます。その場所は、1月から改修工事のため休業した『テレビ塔』の真下です。

■名古屋テレビ塔の未来予想図は…

川合さん:
「ちょうど工事をしていますけれども、来年の夏まで工事をして、新しく次の名古屋に生まれ変わる。街歩きの楽しい名古屋にしていくという方針らしいですから、今までにない、歩いて楽しい地上の名古屋が実現するんじゃないかなと思います」

 未来予想図は、テレビ塔を中心に、緑豊かなスペースをいつでもだれでも利用できる開放感あるデザイン、市民や観光客の憩いの場所となる予定です。

 平成元年のデザイン博で始まった名古屋の進化。新しい時代を迎えてもその思いは続きます。