東海テレビ

第565回 東海テレビ放送番組審議会

1.開催日

 平成28年12月13日(火)

2.出席者

出席委員

浅田剛夫委員長、後藤ひとみ副委員長、臼田信行委員、大松利幸委員、金子慎委員、川谷陽子委員、佐藤健委員、福谷朋子委員、松原和弘委員、山岡耕春委員

社側出席

石黒大山代表取締役会長、内田優代表取締役社長、中嶋保雄取締役報道担当、古橋明取締役編成局長兼制作局長、春田亮介取締役総務局長、祖父江茂樹スポーツ局長、平光治コンプライアンス推進局長、喜多功報道局長、伏原健之報道局報道部担当部長プロデューサー、葛西友久報道局報道部ディレクター

3.議 題

  1. きずあと 101歳 戦争と平和のレクイエム
    平成28年11月3日(木・祝)15:26~16:49(83分番組)を審議
  2. 報告:局に寄せられた視聴者からの意見、苦情等の概要(11月分)
  3. その他

4.議事の概要

1.審議番組について委員からは

  • 杉山千佐子さんが歩んできた人生が分かりやすくまとめられ、彼女の活動が若い人たちにも伝わる内容だった。価値観を押し付けず、事実を積み上げるだけで、どう考えるかは見る人に委ねるという手法は好感が持てた。
  • 杉山さんを支える元新聞記者の岩崎建弥さんという存在があり、彼の記事が随所に入ることで、この番組がよりしっかりしたものなっていると思った。岩崎さんの44年の記者生活を見るような作品でもあった。
  • 「マスコミは8月にしか戦争を考えていない」「その意味では戦争も、盆や正月と同じように年中行事化された、と言わざるを得ない」というナレーションは、胸に突き刺さるようだった。
  • 民間人の戦争被害者の救済を求め活動を続けた杉山さんが、「諦めないけど動けない」と話をしていたのが印象的だった。諦めと執念が入り混じった気持ちのまま101歳の誕生日に静かに旅立ったのではと思った。
  • 杉山さんの体力・気力が衰えていく8月近くの報道取材の場面を見ていると、杉山さんが気の毒で残酷に見えた。新聞記者のインタビューが無慈悲で、単に好奇心からの質問のように思えた。
  • 名古屋空襲で落とされた爆弾の数が東京空襲より多かったことや、ドイツでは軍人だけでなく民間人被災者も補償する制度があることなど、戦争に関する歴史的事実の説明を加えた方がよかったのではないか。
  • 子どもや孫に恵まれた姉と杉山さんが対比される形で紹介され、これも戦争がもたらした理不尽な現実かと印象的だったが、姉のシーンはもっと短くてもよかったのではないか。
  • 杉山さんが寝ていることが多くなる中、「いつになったら本当の戦争が終わるのでしょうか」という言葉に、彼女が訴えている真実があるような気がした。不戦の誓いを新たにしなければならないと感じた。
  • 戦争の生き証人が少なくなる中、この番組は貴重な資料になるだろうと思った。

等、貴重なご意見をいただきました。
これに対し、社側からは


  • 今回の番組は戦後71年目の今年放送したことに意義があると認識している。戦後70年の去年は、ニュース、CM、ドキュメンタリーなどで戦争を考える番組を放送したが、周年ではなく継続して戦争の悲惨さを伝え続けよう、との思いで番組を制作・放送した。
  • 戦後70年の特番で杉山さんを紹介したのを機に、杉山さんの取材を始めた。当初は岩崎さんを通じ戦後70年がどう見えるのかが取材のテーマだったが、取材途中、杉山さんが亡くなったことで、杉山さんの人生を伝える内容にすべき、と企画を変更した。
  • 悲惨さばかりがクローズアップされると、戦争が過去の話と捉えられるのではと思った。現在も世界のどこかで戦争をしているからこそ、杉山さんが訴えたかったであろう「自分と同じような人が今もどこかにいる」というメッセージを描きたかった。

等の発言がありました。
この他、委員と社側の間では

Q.「私がきれいだったとき青い空は真っ黒け、私が傷ついたとき蹴っ飛ばされて捨てられて、私がさみしかったときみんな知らんぷり」というナレーションは、モチーフになるものがあったのか?

A.女性詩人・茨木のり子さんの作品「わたしが一番きれいだったとき」をイメージした。空襲の犠牲者数や被害状況を番組冒頭で説明しようかとも思ったが、杉山さんの気分を表現しよう、と思い詩を挿入することにした。

Q.なぜ11月3日の「文化の日」に放送することにしたのか?

A.12月8日の日米開戦の日を放送日にする考え方もあったのかもしれないが、「文化の日」は憲法が公布された日であり、杉山さんの問題は民間の戦災被害者だけでなく人権の問題だということでこの日を選んだ。

Q.長期間取材をするに当たり、どんなところに気を配り取材をしたのか?

A.今年8月中旬以降、杉山さんは食事ができなくなり、岩崎さんからも取材をなるべく遠慮するよう言われたため、少なくとも岩崎さんの許可があるまで病室入口で待つようにしていた。しかし、ここで無理強いをしなかったからこそ、杉山さんが亡くなった日の撮影を許して頂けたのだと思う。

等の質疑応答がありました。

2.社側から11月の1カ月間に、電話・文書・メールで視聴者から局に寄せられた、問い合わせや苦情等、2,289件の意見の概要を報告しました。

3.来月から「私とテレビと東海テレビ」というタイトルで、各委員が発言する時間を設けたことについて、委員長から説明がありました。