10 野村宏伸さん(久我山慎之助役)5月31日(月)更新

――俳優歴25年の集大成
 マネージャーから初めて今回のお話を伺った時は「冬彦さんのような役」と言われたので、どんな役柄なのかと色々なイメージが膨らんでしまいましたが、台本を読ませていただいて、「なるほど、こういうことか」と腑に落ちました(笑)。でもいい意味で「冬彦さん」とはダブらず、非常に興味深く、やりがいのある役だと思いましたね。

今まで私もこういう役をやったことがなかったですし、一生で一回できるかどうかというキャラクターではないかと思ったので、自分への挑戦だと思ってお引き受けしました。俳優歴25年の集大成…といったら大げさかもしれませんが、それぐらいの思いがあります。
――孤独で愛に飢えていた男
 今撮り終えてみて、久我山という男は何だったのだろうと改めて思いを巡らせてみると、ただの悪い男ではなかったなと思いますね。人間的にどこか偏っていますが、孤独で愛に飢えていた人物です。ドラマ上では描かれていませんが、子供の頃から両親に愛されずに育ってきたのではないでしょうか。

それが初めて愛した真彦の母親に裏切られたり、杏子と二人で生きていこうと思っていた時に裏切られたりしていくうちに、どこか愛し方がねじれてきてしまったのでしょう。大人になりきれていない子供なのです。子供だから子供(真彦や紅子)に対して「私のママを返せ」みたいな心情になるんでしょうね。真彦の方がよっぽど大人ですよ。

真彦が久我山に「どうして私は愛してもらえないのだろう。兄を見る目と私を見るあなたの目は明らかに違っていた」と言うセリフなんて泣けてきますよね。子供ながらにそんなことを思っていたなんてたまらないです。子供はみんな愛されたいものだし、暴力の虐待とは違う辛さがあります。

ラストで真彦の言葉が心に伝わる瞬間もあるのですが、わかっているのにまだそこにいけない。そういう人って世の中にもいると思うのですが、ラストは本当にせつなくて悲しいシーンでした。久我山のことはすごくさみしい人なんだなって、とてもよく理解できます。わかるからこそ演じることができたのだと思っています。
――魂で演じる
 “ドロドロ”と言われていますが、こんなにも濃いキャラクターの人と人とがぶつかりあって、色々なことが起こるなんて、普通の人生では味わえない経験だから、どっぷりこの世界に入り込んで、楽しんでお芝居を作り込んでいきました。マリオネットのシーンも最初はどうしようかと戸惑いがありましたが(笑)。でもせっかくやるなら思いっきりやろうと思いましたね。

ワンカットワンカットだけを見ると、久我山にしてもミツにしても、劇画みたいですよね。ミツは『千と千尋の神隠し』の湯婆婆みたいだなって思っていました(笑)。久我山の髪型なども戦時中の軍人なのですが、時代考証などはあまりこだわらず、キャラクターに合わせて決めました。

 久我山のシーンは美術や演出などスタッフも気合を入れているのが感じられ、私自身も非常に楽しかったですね。スタジオに来て、本番までにグーとテンションをあげていって、魂で演じていった感じがします。だからワンシーンワンシーン、本当に疲れました。
――愛とは何なのか
 祐実ちゃんも一緒にお芝居をしていて、とてもパワーを感じられ、楽しかったです。祐実ちゃんとは対抗するシーンが多かったのですが、“目”に力がありましたね。紅子に「おまえの愛は愛じゃない。単なる自己愛だ」とガンと言われた時は、突き刺さりましたよ。

 愛って何なのか、難しいですよね。女性に対しても子供に対しても色々な愛の形があると思いますが、この人のためなら自分はどうなろうと構わないぐらいの気持ちが“愛”なのかな。愛する子供のためなら自分の命に代えてでも…という親はたくさんいるでしょうが、なかなか男女間の愛がそこまでいくのは難しいような気がします。恋愛観も時代とともに変わっていますからね。この作品の時代の方が夢もたくさんあって、ストレートで、人が優しくて、いい時代だなって思います。
――「鬼畜」というセリフ
 みんなから「鬼畜」と言われてしまうキャラクターというのも初めてでインパクトがありましたが、「お前らはその鬼畜の息子と娘だ。お前らが愛し合うことぐらい屁でもないだろう」というセリフもすごいセリフですよね(笑)心の中では兄妹ではないと知っていたからこそ言えたのだと思いますが…。

 久我山は2部から突然嵐のようにやってきて、嵐のように去っていってしまったので、僕自身も久我山としても、あっという間に終わってしまったような気がしますが、楽しんで見ていただけたでしょうか。このドラマの中の登場人物は紅子を筆頭にみんな一生懸命生きています。誰かのキャラクターに自分をダブらせてみたり、楽しみながら見ていただけたらうれしいです。

このぺージの先頭に戻る