百八十三、
2010/4/30
群衆なだれ
2001年の明石市歩道橋事故で、当時の警察幹部が強制起訴されました。ニュースでは事故の状況を「群衆なだれ」と表現していました。この言葉を初めて聞いた方も多いと思います。以前はこのような事故は「将棋倒し」と報じていましたが、最近では「将棋倒し」は使われなくなっています。
なぜ「将棋倒し」が使われなくなったのか。明石の事故が起きた直後に、日本将棋連盟が「倒れる状況だけで“将棋”を事故などに引用されるのは遺憾」と報道機関に要望したからです。
では「群衆なだれ」が新たな表現かというと、そうでもないのです。専門家は「将棋倒し」と「群衆なだれ」を区別しています。【将棋倒し=一方向に圧力がかかり、同一方向に人が次々と倒れる】。【群衆なだれ=相反する力がぶつかり、もみ合いが生じて起こる転倒現象。将棋倒しより複雑なメカニズム】としています。
明石の事故では、花火会場へ向う人と帰る人が歩道橋に殺到して複雑な力が群衆に作用したと考えられ、専門家は「将棋倒し」ではなく「群衆なだれ」と判断し、事故報告書が発表されました。こうして報道にも「群衆なだれ」が登場したのです。
まだ耳慣れないのでテレビ・新聞ともに使用に慎重で、「折り重なって倒れ」「大規模転倒」と具体的に表現した社もありました。どちらにしても視聴者や読者は「つまりは将棋倒しのようなもの」と解釈するのでしょう。当分この状況が続きそうです。
報道の言葉として「将棋倒し」と「群衆なだれ」を区別する必要があるのか。関係者の要望で伝統的な慣用表現を排除してよいのか。論議も必要です。一方で「群衆なだれ」が定着したとしても、同一方向に次々と倒れることを表現する、「将棋倒し」に代わる言葉が模索されるのでしょうか。
今後「将棋倒し」は死語になるのか。大規模転倒は全て「群集なだれ」に集約されるのか。新しい表現が生まれるのか。慣用句はもう必要とされないのか。大いに注目をしています。