二百四十四、
2013/4/11
花散らし
今年も名古屋では桜の季節が過ぎてゆきました。散る桜を眺めながら、生花店を営む人からこんな話を聞きました。
「桜の花びらは、どんなに散っても苦情を言う人がいない」。
聞いて納得です。落葉は近隣トラブルの原因になりますが、桜の花びらで揉めたという話は聞きません。日本人の桜への思い入れの強さがうかがえます。
季語で「花」といえば桜です。咲き誇る様だけでなく、散っても季語になっています。
花吹雪はもちろん、「花筵(むしろ)」「花茣蓙(ござ)」は、花びらが一面に散った様子。「塵」「屑」も上に「花」がつくと、美しい情景の季語になります。
花びらが水に浮かび流れる様は「花筏(いかだ)」。人に散りかかる様子は衣に見立てて「花衣」と、散り際にも多くの表現が生まれるのも桜ならではです。
そんな桜で気になる言葉が「花散らし」です。
満開の頃に降る雨を、ニュースなどで「花散らしの雨」と呼ぶことがあります。風流な表現のようですが、「花散らし」とは、古い時代の風習で【旧暦の三月三日に花見をした翌日、若い男女が集い飲食すること】をいう言葉です。若い男女のことですから宴の後に……散るのは桜ではなかったのです。そういえば、季語に「花散らし」はありません。
本来の意味はそうでも、粋な雰囲気なので使ってみたくなる気持ちは分かります。実際、桜の季節には何回かは耳にします。若いアナウンサーは「桜を散らす雨」=「花散らし」と、直線的に結び付けているようです。
最近では俳句に使われる例も散見するようになりました。誤用が定着した、と言えるかも知れません。
桜を散らせる雨だから「花散らし」。この用法に、風流を感じる人もいれば、あまりに直截すぎて風情を削がれるとする人もいるでしょう。
さて、来年の桜の季節には、何回この言葉を聞くでしょうか。