まもなく開幕するラグビーW杯。前回のイングランド大会では“ラグビー途上国”の日本が、強豪の南アフリカを破り、「ブライトンの奇跡」と称された。
その奇跡を知ったひとりのラグビーファンは、4年前に受け取った「奇跡のパス」を日本代表に、そして日本中に送ろうと、今回を含むW杯8大会に出場した22の国と3つの地域の最高峰の頂にラグビーボールをトライする旅に出た。
愛知県春日井市の長澤奏喜、自称「世界初のラグビー登山家」だ。8月に富士山で最後のトライを終え、壮大な旅に終止符を打った。この企画では、その彼が、旅の喜びや苦労、W杯への思いを連載で伝える。
■「W杯のエンブレムの物語を」…世界25カ所の最高峰への挑戦
2019年8月27日午前5時32分。僕はエンブレムに描かれている富士山の山頂にトライを決め、2年半に渡る旅路に終わりを告げた。
ラグビーW杯に過去出場した、25カ国の国と地域の最高峰にラグビーボールをトライをする旅。人類発祥から1100億人ほど人間が誕生してきたと言われているが、今まで誰も挑んだことのない挑戦だ。
7000m級のアルゼンチンのアコンカグア(6960m)や、伝説の冒険家、植村直己さんがいまだ眠るアメリカのデナリ(マッキンリー 6194m)…。
炎の山と恐れられているナミビアのブランドバーグ(2606m)…。
コレラが蔓延していたジンバブエのイニャンガイ山(2592m)、世界の名峰から知られざる山まで…。
日本初開催となるラグビーW杯の成功を願い、世界の最高峰にトライし続けた。挑戦のきっかけは、ラグビーW杯のエンブレムだ。富士山と日の出が描かれていて、まるで山頂にラグビーボールがトライしているように見えた。
世界のラグビー強豪国の山にトライすることで、エンブレムの物語になるのではないかとのアイデアが浮かんだ。
予想もしない困難が待ち受けていて、登山のスキルだけでなく、何もかも未熟な僕が各国の山頂を目指す過程の中で、世界中のラグビーファンからサポートを受けるからこそ面白い物語になる、そう思って、2年半の間がむしゃらに上り続けてきたが、ようやく最後のトライを果たした。
■満天の星空に迎えられながら…最後のトライ“日本の最高峰”へ
前日の8月26日は、8合目の山小屋で夜を明かし、いよいよ最後のトライ当日。午前2時から頂上を目指して出発した、前日は一時的に激しい雨に見舞われたが、この日は満天の星が輝く絶好のアタック日和だった。
気温は7度、空気もほどよく乾燥していて、今までにない心地よさがあった。
空気も澄んでいた…最後の登頂はこれまで僕の挑戦を支援してくれた3人の仲間も一緒だった。1人はその夜空の美しさに言葉を失っていた。
しかしここからは暗闇の山道を行く、ヘッドランプの灯りを頼りに山頂を目指さなければならない。自然は美しさもあるが、時には脅威を見せる。この前日には落石事故があったばかりだ。
大勢の人が日の出を見ようと、夜中にアタックする状況の中、視界が限られ、空気も薄く、極度のストレスにさらされる。富士山の夜の山行は独自の難しさがある。一瞬の油断が大けがにつながることもあり、一歩、一歩、丁寧に僕たちは登って行った。
■頂上へは順調に…2年半の思い出が駆け巡ってきた
9合目を過ぎたあたりから、自然と涙が溢れてきた。この挑戦を思いついた3年前からずっと頭の中にあった、最後の富士山へのトライ。
頂上に近づくにつれ、2年半の思い出が駆け巡った。
カナダのローガン山で凍傷になり、手足が思い通りに動かなくなったこと…。
漆黒のジャングルの中で、40度近くの熱を出しながら強行軍を強いられたこと…。
心が折そうになる瞬間は山ほどあった。
それでも、この日のことをずっとイメージして自分を奮い立たせてきた。「僕の長い旅は、とうとうこれで終わり。夢が現実になる…」ゴールに一歩、また一歩と近づいていくと、言葉にできない寂しさがあった。
■富士山頂で僕を待っていたのは燦然と輝く「ウェブ・エリス・カップ」
浅間大社の鳥居が見えたとき、身体が震えるほどの興奮を覚えた。そして山頂に辿り着くと、そこで待っていたのはラグビーW杯の優勝トロフィー、「ウェブ・エリス・カップ」。W杯のPRのため、同じタイミングでここに来ていた。
少しずつ日の光を帯びていくウェブ・エリス・カップは次第に燦然と輝き、これほど美しいものが地球上にあるのかと思えるほど美しかった。
W杯の優勝国に贈られる世界一の証…近づくことが畏れ多かったが、自然と足がトロフィーに向かっていった。
そして、ウェブ・エリス・カップの前で…夢だった「最後のトライ」。
■支えてくれた仲間、そして家族へ…感謝
ここまで本当に、長く険しい道のりだった。登山といえば夏の富士山くらいだった素人同然の僕が、大口をたたいて始めた冒険…。
「最後までやり遂げなければならない」。冒険の間は、夢に見張られ、ずっとギリギリの精神状態だった。思い通りに進むことはほとんどない、夢に向かって突き進む生き方は荊の道を進むようにさえ思えた。
それでもここまで辿り着くことができたのは、妻や娘、そして仲間たち…僕を支えてくれた人たちのおかげだ。一人で始めた旅は、山を登るごとに応援してくれる人が増えていった。
トライの瞬間、応援してくれた日本の仲間、そして旅先で助けてくれた24か国のみんなの顔が思い浮かんだ。言葉に尽くせないほどの感謝の思いがある。
■不可能なんてない…『奇跡のパス』を日本代表へ
4年前のイングランド大会、南アフリカ戦で日本代表は奇跡を起こした。“ラグビー途上国”の日本が、2度の優勝を誇る南アフリカを破った。「ラグビーW杯史上最大の番狂わせ」といわれたこの試合を、僕はライブ観戦していなかった。日本代表に期待していなかった。その時の後悔が、僕の挑戦の強い動機になった。
日本代表は、「不可能なんてない」ことを僕に教えてくれた。元ラガーマンの端くれでしかない僕は日本代表のおかげで、初めは呆れられ、笑われながらも、「到底無理」とされた世界の名峰を制し、『奇跡』を起こした自負がある。
『奇跡』のリレーは繋がれる。あの時の、南アフリカ戦の『奇跡』は決してひと時のものではなかった。少なくとも、その『奇跡のパス』は僕に繋がり、僕も『奇跡』を起こした。その『奇跡のパス』を4年ぶりにまた、日本代表に送る。
そのパスはきっと、W杯で日本代表の『奇跡のトライ』に繋がるはず。もうすぐまた、日本がラグビーで熱気に包まれる。
■長澤奏喜(ながさわ・そうき)プロフィール
1984年10月、愛知県出身(大阪生まれ)。愛知県立明和高校卒業後、慶應義塾大学理工学部を経て、大手IT企業に就職する。在職中にジンバブエでの青年海外協力隊でジンバブエを訪れた際に、世界におけるラグビーW杯の熱を肌で感じる。2016年に退社し、2017年3月、世界初のラグビー登山家となり、2年半で過去W杯に出場した25カ国の最高峰にラグビーボールをトライする、# World Try Project に挑戦。2019年8月27日、日本の富士山で、25カ国すべてのトライを達成。