日本の連勝で熱を帯びるラグビーW杯。前回のイングランド大会では“ラグビー途上国”の日本が、強豪の南アフリカを破り、「ブライトンの奇跡」と称された。
その奇跡を知ったひとりのラグビーファンは、4年前に受け取った「奇跡のパス」を日本代表に、そして日本中に送ろうと、今回を含むW杯8大会に出場した22の国と3つの地域の最高峰の頂にラグビーボールをトライする旅に出た。
愛知県春日井市の長澤奏喜、自称「世界初のラグビー登山家」だ。8月に富士山で最後のトライを終え、壮大な旅に終止符を打った。この企画ではその彼が、旅の喜びや苦労、そしてW杯への思いを連載で伝える。
今回は、サモア編のその2。最高峰マウガ・シリシリを目指す旅の完結編だ。
■いよいよマウガ・シリシリへ…登山より過酷だった登山口までの道
サモアに着いて5日経った1月8日の午前3時、僕とタロサガさんはいよいよマウガ・シリシリへ。この山は島の中央にあるが、島唯一の一本道から内陸に向かう道は舗装されておらず、自分の背丈以上はあろう草木をタイヤで踏み潰しながら走って行った。
レンタルしている車は町乗り用のコンパクトカーで、日本だったら絶対にこんな所を走ったりはしない。しかし、タロサガさんは平然と「行け行け」と僕を焚き付けた。なるべく歩かずに楽をしたいからだろう。
暗闇のジャングルで雨が激しく降りしきる中、車のヘッドランプの明かりは背丈の高い草木に遮られ、1メートル先さえ照らすことができない。視界は最悪で、ドライバーの僕は勘でハンドルを切っていたが何度もぬかるみにハマった。
アクセルを踏んでもタイヤが空回りするところは、2人のどちらかがが車を後方から押した。山に登る前から泥だらけの状況だ。
およそ2時間かけて、登山口まであと1kmのところまで辿り着いたが、どうしようもできない大きなぬかるみにハマり、諦めてそこからスタートすることにした。たった10kmの道のりを2時間かけて進んでいたことになる。歩いているのとほぼ変わらない速度だ。
まだ薄暗い夜明け前、どうにか辺りが薄っすら見えるギリギリの光しかない。しかしやっとスタートできることに安堵していた。日本の山は全てが整っているためにあまり意識されないが、途上国の山は山を登る時よりも、登るまでのほうが困難が多い。むしろ、スタート地点に辿り着くまでがヤマ場だ。
エベレストを含む、セブンサミット(世界七大陸最高峰)に登るのは確かに大変だが、システムがいずれもできあがっている。ネット上でも数多くの情報があり、有名であれば有名であるほど登山がシステム化されていて、パッケージとしてツアーが組まれていることが多い。大金をはたいて、そのシステムを利用すれば、自分の足で歩くことは間違いないが、それ以外のたいていの事は自分以外の人間が何とかしてくれる。
僕が登ってきた登山、というより冒険は、そもそもどうやってその山まで行くのか?から始まることがほとんどだ。全く情報のないところから始まる。
サモアもそうだった。本島のウポイ島の空港で、たまたま出会った青年海外協力隊の人から情報を得るところからスタートし、マウガ・シリシリに登るにはアポイ村に行くように教えられ、山麓にたどり着くことができた。「偶然の連続」が必須だった。リアルな世界でロールプレイングゲームをしているようなものだと思う。
■マウガ・シリシリ山頂までは「道なき道」
ちょうど僕がいたときはサモアの雨季だった。
ジャングルは湿度が高くジメジメしていて、熱帯植物が生い茂る道無き道には、見たこともない巨大な昆虫、そしてカラフルなカエルやヘビがわんさかいた。しかしこんなことはサモアでは日常茶飯事なのだろう、タロサガさんは「噛まれたらすぐ死ぬよ」と笑っていた。
そんな悪路を少しずつ歩いて行ったが、途中でぬかるみに足を滑らし、ボールを落とした。
僕のこのプロジェクトには、ラグビーになぞらえた幾つかのマイルールがある。そのひとつが「ノッコン」だ。ノッコンしたら10メートル下がって進みなおす、それがマイルールのひとつ。
このときも10メートル下がってタロサガさんとスクラムを組んだ。最初は形だけで力を入れず組んでいたが、次第にタロサガさんが圧力をかけてきて、自分も負けずと踏ん張った。次の瞬間お互い足を滑らせてしまい、一緒に笑ってしまった。
一向に晴れることはなかったが、車を降りてから5時間後の午前10時ごろ、マウガ・シリシリの山頂にトライできた。この山はこれまでの山頂と景色が全く異なっていた。熱帯植物に囲まれ、空も雲で覆われていたため、楽しめるような景色はなかった。
しかし苦行とも言える道中、ラグビーを愛する者同士、タロサガさんと助け合いながら登れたことには大きな喜びだった。
タロサガさんも「次のガイドの仕事は、ラグビーボールを持って登ろうかな」と笑ってくれた。
■サモアのラグビー協会へ…そこにもあった日本との「友好の証」
それから2日後の1月10日、僕はサモアのラグビー協会を訪れた。協会の玄関口にあるトロフィー棚には福島県いわき市の子供たちと交流した時の写真が一番手前に飾られていた。
協会の廊下をすれ違ったスタッフが「ちょっと待ってて」と僕に言い残し、しばらくして持ってきてくれたのは、7人制代表チームのジャージ。僕にプレゼントしてくれた。
この日、ラグビー協会では、若手選手の強化合宿が行われていて、その様子を見ていたら僕もボールを追いかけたくなった。「一緒に練習させてほしい」と無茶なお願いをしてみると、温かく迎え入れてくれた。
ラグビーで世界は繋がっているとのことをヒシヒシと感じる瞬間だった。
■いよいよ決戦!日本VSサモア 両国ともベストパフォーマンスを
代表チームは、“サモアの鳥獣たち”という意味の「マヌ・サモア」の愛称を持つ。サモア人は、海洋民族のポリネシア系の血を引いていて、代表チームは、独特のリズミカルな攻撃と爆発力が持ち味だ。ランキングこそ日本のほうが上だが、決して油断できない。
サモア滞在中、本当に多くの人にお世話になった。次の試合ではもちろん日本の勝利を願っているが、サモアにも最高の状態で、最高のパフォーマンスを期待している。
強豪相手に2度の勝利でサモアとの試合を迎える日本。もう「番狂わせ」とは言えないだろう、世界も想像以上に日本を高く評価している。
サモアとの試合は、僕の地元・愛知県で行われる。リーチ・マイケルがアイルランド戦の勝因について語った「自信」という言葉。その試合でもまた「自信」に溢れた戦いで、日本中・そして愛知を興奮で包んでほしい。
■長澤奏喜(ながさわ・そうき)プロフィール
1984年10月、愛知県出身(大阪生まれ)。愛知県立明和高校卒業後、慶應義塾大学理工学部を経て、大手IT企業に就職する。在職中にジンバブエでの青年海外協力隊でジンバブエを訪れた際に、世界におけるラグビーW杯の熱を肌で感じる。2016年に退社し、2017年3月、世界初のラグビー登山家となり、2年半で過去W杯に出場した25カ国の最高峰にラグビーボールをトライする、# World Try Project に挑戦。2019年8月27日、日本の富士山で、25カ国すべてのトライを達成。
長澤奏喜HP「I am Rugby Mountaineer」(僕はラグビー登山家)