北野武さん、漫談家の頃の泉ピン子さん、2人が駆け出しのころ腕を磨いたのが名古屋の大須演芸場です。
新型コロナの影響で、長らく寄席が休止していましたが、いよいよ再開。大須に笑いが戻ってきました。そして再開の寄席で、芸どころ名古屋をこれから支える落語家一門が新たに誕生しました。
■コロナで寄席が休止…苦境に立つ大須演芸場
登龍亭獅篭さん:
「どんどん仕事がなくなっていきましてねえ、私はこれを下り坂48現象と呼んでいたのですがねえ」
落語家の登龍亭獅篭(とうりゅうてい・しかご)さん、49歳。およそ8か月ぶりの寄席。名古屋の大須演芸場です。
55年の歴史をもつ、東海地方唯一の常設の寄席。かつては、「日本一客が少ない寄席」と揶揄されたり、家賃の滞納で閉鎖となったり…。その度に、何とか乗り越えてきました。
しかし今年はこれまでにない苦難に直面しました。新型コロナウイルスです。
支配人(今年5月):
「固定費だけが出ていって、売上は現状ゼロの状態です。1円も入ってこないというのが続いています」
■談志師匠から破門されて17年…名古屋で唯一の一門を受け継ぎ守り続ける
今年3月から寄席が中止となる非常事態…。その影響を強く受けたのが登龍亭獅篭さんら、地元・名古屋の落語家たちです。
名古屋で唯一の落語家一門「登龍亭」の筆頭・獅篭さん。9月、名古屋市中区の雑居ビルにこしらえた、仮設の高座に姿がありました。登龍亭の落語家は4人…。4人の苗字に当たる亭号は、今年の春まで「雷門」でした。
もともと獅篭さんは、立川談志さんの弟子でしたが、2002年の「前座全員破門騒動」に巻き込まれました。漫画家でもある獅篭さんの作品に、事のてん末が描かれています。
獅篭さん:
「よくあるのです、破門は。私は第3次破門騒動というやつで。(談志師匠は)機嫌が悪いと破門とかね。一回振り上げたこぶしがね、振り下ろされないような状態になる」
立川流を破門となった獅篭さんは、活動の場を東京から名古屋へ。当時、名古屋で唯一の落語家だった、雷門小福師匠の門下に移り、雷門獅篭と名乗りました。
結果、名古屋の落語家一門が途絶えず、今に繋がっている歴史があります。ところが…。
獅篭さん:
「雷門というのが、どうしても浅草のイメージなんでね。そこで、登る龍の亭で登龍亭という、実に名古屋チックな亭号が、120年ぐらい使われていないのですよ」
3本の竜の爪、登龍亭のしるしです。立川流を破門となり、名古屋に拠点を移してから17年。名古屋に根付いた一門として亭号を雷門から登龍亭に変え、再出発を決めました。
■百年続くそんな一門にしたい…登龍亭として新たな出発
しかし、亭号を改めた今年4月に、大須演芸場で予定していた御披露目は、新型コロナの影響で中止。再出発は叶わなくなりました。
人前で芸をすることも出来なくなり、落語を動画でアップする日々…。そこへ良い知らせは突然やってきました。およそ8か月ぶり、遂に大須演芸場の再開が決まったのです。
獅篭さん:
「いよいよ寄席が再開されるということで、再開がまずわれわれ登龍亭の御披露目公演ということで、今から準備いたします」
真新しい登龍亭の幕。雷門時代の師匠・小福さんの家族からの贈り物です。
獅篭さん:
「平成15年の夏に、大須演芸場にカバン1つで来たわけですが、初めて自分の一門の芸名が大須演芸場の前に飾られるというね。感無量でございます」
うれしいことが、いくつも続きます。
入門志願者:
「頑張ります、お願いします」
一門の新たな仲間候補です。
獅篭さん:
「私はこの登龍亭というのが100年、200年続くような、そういう一門にしたいのですよ。弟子が来るようになって、これは未来のこと、次の世代のことを考えなきゃいけないなと、登龍亭にしたというのもありますから」
10月1日、8か月ぶりの寄席が開かれた大須演芸場。延期になっていた登龍亭の御披露目が、いよいよその時を迎えます。
獅篭さん:
「寄席が再開ですから、“再開”で皆さんと“再会”できるというね、非常に嬉しいわけでございます」
お客さんも同じ気持ちでした。
男性客:
「落語も見たかったし、演芸場にも来たかったし、何より登龍亭一門のお祝いの席を早く見たかったので、本当に嬉しい」
獅篭さん:
「こういう時代なので、一杯にはならないと思いますけど…。笑いというものを、そういう場がなかったのでね。笑いを求めている方に、提供したいと」
名古屋の「登龍亭」…歴史の幕開けです。
獅篭さん:
「最初は緊張したけど、はなしに入ったらまた昔の感覚が戻って来たというか。やっぱり、ここはやりやすいです。落語家としては、私の実家みたいな所なんでね。久々に実家に帰って来たという感じですね。名古屋だって4人いるので、もっとワーっと広がるような一門になってもらいたいですね」