今年8月、愛知県岡崎市で80年以上続いてきた豆腐店が火事で全焼しました。

 この店の豆腐は、学校給食や地域の飲食店などに卸されていて、甘くておいしいと評判でしたが、母親、姉、妻の3人と手作りで豆腐を作ってきた男性は、「借金をしてまでやってももう返せない」と、1度は豆腐作りをやめる決意をしました。

 しかし、「この味を絶やしてはならない」と、取引先の飲食店を経営する男性がいま、自分の店の敷地の空きスペースに工房を作って復活させようと、資金を募っています。

■地域で愛された創業80年超の老舗豆腐店が全焼

 岡崎市鴨田町にあった「原田豆腐店」。約80年前に程近くの材木町で創業し、この場所に移転してから60年ほど、学校給食や、地域の飲食店、スーパー、病院などに手作りの豆腐を卸してきた。

 基本は卸専門だが、その味を知って販売してほしいという人も訪れるほどの評判の店だった。

 経営者は原田学喜さん、62歳。豆腐作り一筋の職人で、母親と姉、妻の3人と一緒に店を守り続けてきた。原田さんが作る豆腐は、一般的な豆腐より「糖度」が高いという。

 一般的な豆腐の糖度が10-13度であるのに対し、原田さんの豆腐は、14-15度。その秘密は豆乳に混ぜる「にがり」の絶妙な量や混ぜ方などにあるが、45年間ほぼ休みなく豆腐作りを続けてきた職人だからこそなせる技だ。

 使う大豆は「ふくゆたか」、地元・岡崎市で見つけたお気に入りだ。

 しかし、地域に愛されてきた原田豆腐店は、ある日突然、店を閉めなければならない事態に追い込まれた。2020年8月15日の昼過ぎ、店が火事に見舞われ、全焼。

 出火の原因は生揚げを揚げるフライヤーの火の消し忘れだったという。

 再び店を作りなおすのにかかる費用2000万円を銀行に借りたとしても、返すことができるのか、その間に失ったお客さんは戻ってきてくれるのか…。

 別の店で雇われて豆腐を作る道もなかったわけではないが、「職人のこだわり」で、気持ちよく仕事ができないかもしれないという不安もあった。

 原田さんは数日後、保健所に廃業届を出し、80年超続いた老舗はその歴史に幕を下ろした。

■「無駄なことはやめろ」と断られ続けても…「歳の離れたアニキ」に届いた飲食店経営者の願い

 火事があった日、原田さんから「もう豆腐を卸せなくなった」と連絡を受けたのが、取引先の飲食店の経営者、西田耕一さん(53)だ。

 西田さんが経営する「旬の魚と釜飯 魚信」は、名鉄東岡崎駅近くで約45年間、和食を提供し続けている飲食店。「原田豆腐店」とは原田さんの父親の代からの付き合いで、34年前から豆腐や油揚げを仕入れてきた。

 店の看板商品のひとつ「寄せ豆腐」も、原田さんの父親が作ってくれた。

 原田さんが作る風味豊かできめ細やかな豆腐が好きで、「この味を途絶えさせてはいけない」と考えた西田さんは、「魚信」の駐車場のスペースに工房を作って、そこで豆腐を作り続けてもらおうとすぐに提案したが、答えは「NO」だった。

「今さら豆腐屋なんて俺は勧めないよ」「無駄なことはやめろ」「採算の合わないことはやめろ」と当初は繰り返した原田さん。しばらく休んだ後、アルバイトをして生計を立てていこうと考えていた。

 しかし火事から約1か月後、西田さんに「豆腐作りを教えてほしい」と頼まれ、以後毎日のように指導することになった。原田さんも次第に西田さんの熱意に打たれ、もう1度豆腐を作ることを決めた。

 西田さんは、確かな腕を持った「職人の原田さん」のことはもちろん尊敬している。ただ、「歳の離れたアニキのよう」とも話し、「家族」を助けたいという気持ちがあったという。

 今は工房づくりの準備を西田さんと一緒に進めながら、「魚信」の若手に豆腐の作り方を指導している。同じようにしてはみても、原田さんの仕上がりとはまだ異なる。

 にがり1グラム、2グラムで味が変わってしまったり、原田さんでさえ作る味は毎日違うというところが豆腐作りの難しさだ。

 言葉遣いは荒いところもあるが、若手も親しみを持って指導を受けている空気が伝わってくる。

■「切れた糸をまた結んでもらった喜び」…再出発目指す62歳の職人「感謝しかない」

 工房は、西田さんの店「魚信」の駐車場に作る。広さわずか4坪程度のコンテナが原田さんの「新しい店」だ。1月中旬のオープンを予定している。

 工房では、西田さんの店でだす豆腐をつくるほか、体験教室も開く。また、一般のお客さんにも販売する。

 工房設置にかかる費用は、およそ900万円。銀行から受けた融資金600万円と残る300万円はクラウドファンディング「キャンプファイヤー」で募っている。(2人のプロジェクト)

 支援は1000円からでき、豆腐セットや魚信で食べられる豆腐懐石などのリターンがある。豆腐はいずれも原田さんの手作りだ。

 11月26日から始め、支援者が約120人、約235万円(12月4日時点)が集まった。募集は1月17日まで続けるが、目標金額に届かなくとも計画を実行するAll-in方式で実施する。 

 原田さんは西田さんが再出発の声をかけてくれたことについて、「感謝だよね、生まれた時から豆腐屋を見てきた。廃業して今までやってきた糸が切れてしまったのを、また結んでもらえた喜び。自分が廃業して、こんなふうに人が助けてもらえるというのは本当に感謝しかない。それに応えられるような豆腐をつくらないと」と職人の意地も覗かせた。

 廃業したあとも「豆腐を作っている姿が夢に出てくる」と話す原田さん。再出発の日はもうすぐだ。