2012年のロンドン五輪では、村田諒太選手が48年ぶりの金メダルを獲得しました。アマチュアボクシングの最高峰の舞台は「オリンピック」です。
愛知県みよし市の女子ボクシング・ウエルター級の鬼頭茉衣選手は、その夢の舞台である東京オリンピックを目指し、高校生たちと一緒に練習に励んできました。
ところが、コロナ禍を理由に、IOCは2月に突然のオリンピックの最終予選の中止を決定。突如、オリンピックへの道が断たれ、鬼頭選手は一時目標を失いましたが、今では次の目標に向け練習を再開しています。
■東京五輪目指し高校生と一緒に続けてきた練習…日本代表の主将務める23歳の女子ボクサー
中京大学大学院2年・女子ボクシング・ウエルター級の鬼頭茉衣選手(23)は、愛知県立三好高校で高校生と一緒に練習に励んでいます。
前に出て攻めるのが持ち味の鬼頭選手の得意技は、強烈な「ボディフック」。大学1年からボクシングを始めると、翌年には全日本選手権で優勝し、今では日本代表チームのキャプテンも務めています。
鬼頭選手は、三好高校ボクシング部顧問の豊田大先生(30)に指導を仰ぎながら、二人三脚で東京オリンピック出場を目指していました。1年前、東京オリンピックへの想いを話していた鬼頭選手。
鬼頭選手(2020年):
「今はメラメラさせながら絶対に(オリンピックを)決めるぞと、夢見てやっています、毎日」
東京オリンピックの日本の女子ボクシングは、既に6選手が開催国枠やアジア・オセアニア予選を勝ち抜き、出場権を獲得しています。
一方、鬼頭選手は、2021年6月にフランス・パリで開催される最終予選で世界の強豪と、出場をかけて争うことになっていました。
■打っているパンチは何のため…突然の最終予選中止で断たれた東京五輪への夢
しかし、2月15日。IOCの特別チームは、新型コロナの感染拡大を受けて、東京オリンピック最終予選の中止を決定。鬼頭選手の夢は、突如断たれました。
鬼頭選手:
「絶望ですね。終わった、それに尽きます。シャドウしても泣けてくるんですよ」
鬼頭選手は、「何のために打っているパンチなんだろう」と練習になりませんでした。出場できない事が決まってしまった東京オリンピック。あまりに突然の宣告に、気持ちの整理がつかず、豊田先生を前に「東京オリンピックがあるかないかは、もうどうでもいい」と発言してしまいました。
鬼頭選手:
「豊田先生は『それは違う』と。『もし無くなったら、同じように思う奴が増えるから俺はやってほしい』って言ったんですよ。自分が情けなくて」
豊田先生も学生時代、2012年のロンドンオリンピック代表の強化指定選手に選ばれていましたが、出場はできませんでした。自分では叶えられなかったオリンピック出場の夢。それを託したのが鬼頭選手でした。
豊田先生:
「鬼頭自身の夢は、自分にとっての夢の舞台でもあったので悲しいです。とにかく前向きに取り組めるように言葉をかけた感じです」
■目標は3年後のパリ五輪…インターハイ中止となった後輩たちと次なる舞台に向け「再始動」
オリンピックという目標がなくなり、落ち込んだ鬼頭選手でしたが、今では激しい練習を再開しています。
鬼頭選手:
「ずっと100のスピードで走り続けて、『はい、中止になりました。じゃあもうやめます』とはならなくて…」
鬼頭選手のオリンピックにかける思いは大きく、目標を3年後のパリに切り替えられるようになりました。鬼頭選手と一緒に、練習してきた高校生たちも、コロナでインターハイや国体が中止に。そんな高校生たちに声をかける豊田先生。
豊田先生:
「鬼頭さんも前向いてやっている。そういうところを勉強しながら、感じながらやって欲しい」
三好高校ボクシング部の主将:
「気持ちが強い選手で、こっちも引っ張られる存在です。不安の中でやっていたんですけど、鬼頭さんがいたから頑張ることができた」
三好高校ボクシング部の部員:
「入学してから一緒にいる先輩なので…。パリオリンピックに向けて、自分が鬼頭さんを超えられるようにやっていきたい」
鬼頭選手は、高校生の支えとなっていました。
豊田先生:
「(鬼頭選手や高校生たちに)正しい言葉がけができているかは分かりません。ただ、本当に後悔のない選択をしてほしい」
鬼頭選手は、厳しい現実を突き付けられた今、取材に応じてくれた理由を「この取材をスタートにしようと。オリンピックに出場しメダルが取れた時に、この取材の映像を“ここから始まったんだ”と思い返したい」と話します。次の夢の舞台に向け、鬼頭選手は再び動き始めました。