東日本大震災から10年が経ちました。名古屋に、福島の子供たちへ支援を続けている男性がいます。この活動を始めたきっかけは、住んでいた町が立ち入り禁止区域となり、故郷を失った自身の祖母の存在でした。

 この男性は「今自分にできることは、震災を風化させず伝えていくこと」と話します。

■少しでも良い思い出を…放射能で外で遊べなくなった福島の子供たちをキャンプへ

 名古屋・大須に、被災地支援を続ける福島県福島市出身の男性がいます。名古屋の被災者支援団体「aichikara」に所属している佐藤匠さん(28)が見せてくれたのは、子供たちと一緒に縁日の準備をしている写真です。

佐藤さん:
「子供たちが大人になった時に、何か少しでも記憶に残って良い影響が与えられたらいいな」

 佐藤さんは原発事故の放射線の影響で、外で自由に遊べなくなった福島の子供たちをキャンプに招待する支援を続けてきました。

■祖母「長かったような短かったような10年」…活動の支えは故郷を失った祖母の存在

 佐藤さんの活動の支えになったのは、祖母の存在です。祖母の故郷の富岡町は、震災後放射線の影響で立ち入り禁止区域となり、祖母は福島市内に移住しました。

佐藤さんの祖母の堀川ヤイ子さん:
「(故郷に戻りたいと)たまに思います。長かったような短かったような10年でしたけど、今考えると寂しくなっちゃいます」

 禁止区域が解除され、富岡町に戻ることも考えましたが、3年前に自宅を手放しました。町を去る人が後を絶たず、富岡に戻った人は現在1割です。

 ヤイ子さんの姿を見て、故郷を失うことの悲しさや辛さを痛感した佐藤さん。

 震災が風化し忘れ去られないように自分ができることは、「震災が起き、原発事故が起きたことを伝えていくこと」と考えています。

 東日本大震災から10年。新しい町に人をどう呼び込むか…。10年目の被災地の“今”です。