6月11日に公開された、ある家族の実話を元にした映画「名も無い日」。ほぼ全編、名古屋で撮影されたこの映画の監督は名古屋市熱田区出身で、ニューヨークで活躍している日比遊一さんです。
日比さんは自分の家族に起きた衝撃的な出来事を映画にしました。主演の永瀬正敏さんやオダギリジョーさんが名古屋弁で熱演しています。
■自身の家族に起きた衝撃的な出来事を映画に…永瀬正敏さん主演『名も無い日』
主演・永瀬正敏さん、弟役にオダギリジョーさん。今井美樹さん、金子ノブアキさん、真木よう子さんらが共演する映画『名も無い日』。
監督は日比遊一さん(ひび・ゆういち 56)、名古屋市熱田区の出身です。永瀬さんが演じるのは、日比監督自身がモデルです。この映画は日比監督の実体験が元になっています。
日比監督:
「絵がしまるというか…あの人(永瀬さん)が入ってくるとね。何も言わなくてもね、その中で何かを語りかけてくれる俳優さんって今、本当に少なくなったと思うので」
熱田神宮、円頓寺商店街、平和公園…。ほぼ全編を名古屋で撮影しました。
熱田神宮を訪れた日比監督:
「小さい頃はお祭りもそうですけど、普段駅に行くのに毎日のように通っていたので生活の一部というか…。私のストーリーの軸というか、自分の実家と熱田神宮はどうしても入れたかったですね」
■熱田神宮や地元の商店街…名古屋の思い出の地が映画の舞台に
監督にとって懐かしい場所が映画の舞台です。熱田神宮をはじめ、地元の風景が美しく映し出されています。今ではシャッターが目立つ地元の熱田神宮前の商店街も出てきます。
日比監督:
「神宮商店街で全部買い物を済ませていたから。『こんな寂れた町、どうしようもないじゃないか』とセリフで言うんだけど僕の中の思い入れというか、そういうのも大切にしてほしいなというのはありますよね」
映画では商店街の居酒屋や七里の渡しも登場します。
日比監督:
「(七里の渡しは)僕の故郷、原風景。若い時にこの町を去ったので、記憶を辿りたかったというか、そういう映画ですよね」
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■何月何日に死んだのか分からない…8年前に孤独死した弟
日比監督は高校卒業後、名古屋を出て東京で俳優になりました。その後はニューヨークへ渡り写真家になり、映画では高倉健さんや樹木希林さんの作品を製作しました。
熱田区内にある日比監督の実家。映画の中で重要な場面として登場しました。
日比監督:
「お墓に行くよりも、ここ(実家)に眠っているような感じを受けるので。これは弟が使っていたカメラ。最後の形見の1つというか」
日比監督の弟・章人さんは8年前にこの家で孤独死しました。自殺とも病死とも分からない状態で、一人仏間に横たわっていました。
日比監督:
「人のいい優しい、物静かな男でしたね。(亡くなったのは)44、45歳ですね。何月何日の何曜日に死んだのか分かっていないので、そこからの由来がタイトルなんですけど。『名も無い日』っていうのは…。結局、看取られずに亡くなっていった人たちの命日を詠んだっていうことですけどね」
映画は監督の実家を使って撮影されました。
日比監督:
「(家族写真を見ながら)父親が死ぬ最期、全員揃ったのが24年前ですね。母が死んで20年だから、そういうのが重なったんですよ。弟が鬱じゃないけど、そういう状況になっていくのには…」
長男でありながら、実家を飛び出して夢を追いかけた兄。真面目で、東大を出て家族の期待を一身に背負った弟。
日比監督:
「彼はどこかで『また格好つけて、俺の死まで使って作品にしやがって』なんて思っているかも分かりませんけどね」
「悲しみや喪失感ときちんと向き合うことで、前進できる」。日比監督は、『名も無い日』は決して悲しい映画ではないと話します。
■私小説から始まった作品…でも「観てくれる全ての人たちの物語」
5月に開かれた試写会。名古屋の人たちに思いを届けました。
女性の観客:
「最後にちょっと涙が出ちゃって」
別の女性の観客:
「心に暗いものが残らない、そういう映画でした」
男性の観客:
「もし仮に自分が今死んだら、親とか友達とかはどういう気持ちを背負って乗り越えていくのかなって…」
「劇中の風景は自分の生まれ故郷だが、ご当地映画にはしたくなかった」と話す日比監督。10年後、20年後に古くならない映画を作るにはどうしたらいいかを考えて製作したといいます。
日比監督:
「目に見えないコロナという敵がはびこる中、生と死というものを背中合わせに生きているわけじゃないですか、毎日をね」
自分の私小説から始まったこの映画。しかし日比監督は「観てくれる全ての人たちの物語でもある」と話しています。
映画「名も無い日」は全国の映画館で公開中です。
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