東京パラリンピック短距離種目で日本代表を目指すアスリートが、名古屋学院大学の陸上部にいます。愛知県瀬戸市出身の大島健吾選手(21)です。

 大島選手は、生まれつき左足の足首から先がありませんでした。そのハンディをもろともせず、西陵小学校時代は水泳とサッカー、水野中学校時代は卓球、そして瀬戸西高校時代はラグビーに挑戦してきました。

大島選手:
「あんまり自分が障害を持っているっていう自覚を持ってなくて。高校も僕が義足だからって別メニューという環境じゃなかったんで、みんな普通に接してくれたっていうのが大きくて…」

 陸上を始めたきっかけは、競技用と呼ばれる特殊な義足との出会いでした。

 歩くために作られた生活用義足に対して、競技用義足は走るためのもの。カーボン製の板バネの反発力を利用して、より速く走ることができます。

大島選手:
「競技用っていう道具を使って走ってるイメージがどうしても強くて。これを使って走れるんなら、どこまで行けるんだろう?っていうような思いが強くなって」

 初めて陸上競技用の義足を履いたのが、18歳の時。その時から1秒以上記録を伸ばし、現在の自己ベストは11秒59。

 しかし、10秒台で走れなければ、世界とは張り合えません。競技用義足をもっと使いこなせる様になることもさることながら、義足自体の更なる改善も必要でした。

 この日、大島選手は、自身4本目となる義足を試す為に東京・台東区にある義肢装具製作所に向かいました。

大島選手:
「まだベストじゃないなっていうのはあるので、今回の義足がベストな感じになってほしいんです」

 陸上競技用義足は、足を固定する「ソケット」と「板バネ」の2つから成り立っています。

「カーボン製の板バネは高価な為、失敗しました、もう1本っていうのは厳しいんですよ」と話すのは義肢装具士の斉藤拓さん。パラアスリート達を陰で支える心強いスタッフの一人です。

 この日は、新しいソケットに合った板バネの長さや取り付ける位置を探ります。一番フィットする義足を目指して、試行錯誤を重ねます。

 大島選手が感触を確かめるため、道路に出て走り、使い心地を確認し、斉藤さん達が修正を繰り返します。今回は、太ももの裏に、ソケットが擦れて痛むという問題が発生。その後3時間以上も微調整を繰り返します。

 大島選手には新しい義足にかける思いがありました。

大島選手:
「今までの義足でもどんどん記録が伸びていくのは分かってたんですよ。でもベストじゃないなっていうのはあったんで、それをずっと考えてて形にしようって感じです」

 限界を決めつけず、これまでも様々なスポーツに挑戦してきた大島選手。「より良い義足をつくりたい」という大島選手の思いに、技士たちも寄り添います。

 そして迎えたシーズン初戦。去年に続きT64クラス男子100mで優勝。さらに、その1週間後の今シーズン2戦目で、なんとアジア記録(11秒47)を0.01秒更新します。東京パラリンピック代表を大きく手繰り寄せました。

大島選手:
「単純に陸上だと、人間の体の限界がある中で、義足っていう道具を使える競技なので、義足だからこんなに速く走れるんだっていうようなスポーツになってほしいと思ってて、自分もそういう選手になりたいと思ってます」

 8月の東京パラリンピックについては…。

大島選手:
「パラリンピックっていう大きな舞台の決勝になったら、自分がどれだけパフォーマンスを上げれるかだとか、いろいろ知れると思うので、そこは出てみたいなと、目標にして頑張ってます」

 まだまだ伸び盛りの大島健吾選手、21歳。東京パラリンピック、その決勝の舞台を目指して走り続けます。