野球殿堂入りが決まった元中日ドラゴンズの山本昌さんは、式典後の記者会見で恩師への感謝の言葉を口にしました。

山本昌さん:
「色んな人に出会えて、そういうことが重なって長く野球ができたんじゃないかと。アイク生原さんという大恩人に会えた」

 恩師・アイク生原さん。日本のプロ球団から送られてくる野球留学生の世話をするなど、アメリカでの日本人選手の父親的存在でした。

 入団してから4年間で1勝もできず、命じられたのはアメリカへの野球留学。

山本昌さん:
「5年目の選手で、今年最後のつもりで頑張ってキャンプを過ごしていた時に『留学しなさい』と。もう一生懸命教えてくれるんです。もう1回頑張ろうという気になった」

 伝授されたのは、ダイナミックなフォームから繰り出され、7色の変化球が打者を幻惑する「スクリューボール」でした。

 そして、1988年のシーズン途中に緊急帰国。すると、破竹の勢いで勝利を重ね、瞬く間に5勝をあげ、6年振りのリーグ優勝に貢献しました。

 2009年、200勝目のウイニングボールを持ちロサンゼルスへ。そこにあったのは、1992年に亡くなった恩師アイク生原さんの墓標。数々のタイトルを獲得し、球界を代表する投手へと成長した姿を恩師に伝えました。

 殿堂入りの会見で昌さんは、「僕が1つ勝つだけで大喜びするような人だったので。(アイクさんが)亡くなられた後、最多勝や沢村賞を取りましたので、そういうことを報告したら本当に喜んだろうなと。今回の殿堂入りということに関しても、やっぱり自分の口で報告したかったという思いはすごくあります」と感謝の言葉を口にしました。