岩瀬仁紀さん「ドキドキしながら見ていた」
第104回全国高校野球選手権大会(阪神甲子園球場)に出場した愛知代表・愛工大名電高校の背番号「10」を背負う岩瀬法樹(のりき)投手(3年)の父は、元中日ドラゴンズで前人未踏の通算1002試合登板、407セーブの日本プロ野球記録を持つ岩瀬仁紀さん(47)だ。
プロの舞台で大活躍した仁紀さんだが、西尾東高校の在籍時に甲子園出場することは叶わなかった。
「高校球児はみんな甲子園を目指す。限られた人しかいけない中で、甲子園に出場出来るというのは、本当にすごいことだなと思っています」と話す。
左腕だった父に対し、岩瀬投手は右腕。昨年6月に右肩痛を発症し、リハビリを乗り越え、今年3月にようやく投球を再開した。オフの日には、父に接骨院の送迎をお願いしていたそうだ。そして迎えた夏の県大会では、リリーフを任された。激戦区・愛知の頂点に立ち、2年連続14回目の甲子園出場を決めた。
7日の1回戦・石川代表の星稜高校戦では、9回から2番手として登板。名前がコールされると、球場がどよめいた。自己最速144キロをマークし、1回無失点。甲子園デビューを果たし、14-2で勝利した。仁紀さんはこの日仕事だったため、画面越しで応援していたそうだ。
そして12日の2回戦・青森代表の八戸学院光星高校戦では、4点ビハインドの7回、1死1・2塁の場面でマウンドへ。このピンチを無失点で切り抜けた姿を、仁紀さんはスタンドで見届けていた。
「ドキドキしながら見ていた。甲子園で投げられるのは本人にとって、とても幸せなことだと思います」とほほ笑んだ。
延長10回で6-5のサヨナラ勝利を飾った愛工大名電高校は、15日の3回戦で大分代表の明豊高校と対戦。仁紀さんは観戦に行ったものの、岩瀬投手の登板はなかった。5-2で勝利し、41年ぶりの準々決勝進出となった。
「名電は上位打線から下位打線まで打てるバッターが揃っていたので、見ていて頼もしかった」と振り返った。
ベスト4をかけた18日の準々決勝・宮城代表の仙台育英戦では、岩瀬投手が3回から2番手として登板したが、打者4人に対し、2安打、2失点を許した。反撃の糸口を掴むことが出来ず、2-6で敗れた。仁紀さんは仕事のため、ほとんど試合を見ることは出来なかったそうだ。
岩瀬投手は試合後に「いろいろな意味で注目されたが、プレッシャーは感じていなかった。甲子園に来られて自分の投球ができたので、ありがたく思っている。(進路は)大学に行って活躍し、社会人に行ってからプロに行きたい。(父と同じ社会人野球に進むことを希望するのは)投手なので高いレベルに進んで、自分の力をつけてからプロに行きたい」と明かした。
これに対し、仁紀さんは「本人が頑張りたいというなら、そうなれるようにサポートしていきたい。球速はあと5キロアップして、もっとレベルアップが必要です。これからも楽しみです」と期待を寄せる。