東京オリンピックのカヌー・スラロームの決勝が7月26日に行われ、前回大会で銅メダルだった愛知県出身の羽根田卓也選手は10位でした。

 羽根田選手には大切な親友がいます。13年前に事故で重い後遺症を負い、懸命にリハビリを続けてきた親友は、羽根田選手へ誓った通り、決勝の日に奇跡的に自分の足で歩きました。

■「メダル取ってくるからお前も早く元気になるって約束しろ」…羽根田選手が親友に誓った約束

 カヌー・スラロームの羽根田卓也選手は、決勝に臨みましたが結果は10位。2大会連続のメダル獲得とはなりませんでしたが、羽根田選手の姿を名古屋で見守っていた親友がいます。同級生の中西拓馬さん(33)です。

【画像20枚で見る】五輪終えたカヌー羽根田から親友に送ったメッセージ 決勝当日に卓也と拓馬が起こした“奇跡”

 拓馬さんと羽根田選手は、愛知県豊田市の杜若高校のクラスメイト。拓馬さんの夢はプロ野球選手でした。しかし、2008年5月に、拓馬さんは交通事故で意識不明の重体になり、生きるか死ぬかの瀬戸際に。

当時は北京オリンピック直前、羽根田選手が拓馬さんに誓った約束がありました。

『メダル取ってくるわ。お前も早く元気になるって約束しろ』

 事故から5か月後に、奇跡的に意識を取り戻した拓馬さん。しかし脳に損傷が残り、歩くことも、声も出すこともできませんでした。

<拓馬さんの日記>
「歩けん。野球。走る。仕事。」

 絶望の日々…。それでも拓馬さんは、未来を信じてリハビリを続けました。

■歩いて東京オリンピックに行く…拓馬さんが誓った羽根田選手との約束

 羽根田選手も一歩ずつ前へ。北京で14位、ロンドンで7位入賞、リオではアジア勢初の銅メダルに。事故から8年、拓馬さんとの約束を果たしました。

 事故から12年経った2020年、トレーニングを続けてきた拓馬さんは立つことができるように。毎朝、筋トレを30分、自転車を40分の運動…。

 メニューは、羽根田選手が拓馬さんのために考えました。きついトレーニングに耐え続ける理由があります。

拓馬さんの母親:
「約束してたみたいで。立って歩いて、(東京オリンピックを)観に行きたいって」

 歩いて東京へ行く。拓馬さんが、羽根田選手に誓った約束です。

 オリンピックが近づいた7月1日。

 事故から13年、拓馬さんは杖をついて歩けるようになりました。

■「拓馬に負けないように頑張る」…本番の1週間前リハビリを頑張る親友への羽根田選手の誓い

 オリンピック1週間前の7月17日。羽根田選手の34歳の誕生日に、拓馬さんが自分のトレーニング動画を送りました。

拓馬さん:
「頑張ってるよ!頑張ってね!」

<羽根田選手からの返信>
「たくま頑張っていますね。すごいです。(私も)負けないように頑張ります」

羽根田選手:
「(拓馬さんは)リハビリをずっと頑張ってここまでこれているので…。自分なりにやっと迎える大会なので、ちゃんとした姿を見せて胸を張って彼に会いに行きたいなと思います」

■杖もつかずに歩けるように…大一番の日に親友が起こした奇跡

 いよいよ決勝の7月26日。拓馬さんは、近所に住むお姉さんの家で観戦します。車いすを押しながら、およそ300メートル。

拓馬さん
「歩けるよ。俺、全然いけるよ、何もなしで」

 拓馬さんは、杖もつかずに歩けるようになりました。事故から13年、拓馬さんの奇跡です。

拓馬さん:
「とって欲しいです。もうすごいお願いします。メダルとってほしいです」

■「一緒に挑戦できて幸せです」…五輪終えた羽根田選手が親友へ送ったメッセージ

 羽根田選手は一番目のスタート。大会直前にコース変更があり、水の流れをつかめません。ゲートに接触してしまい、結果は10位に。

羽根田選手(レース後):
「応援してもらっている以上は、弱音を吐くなんて許されないと思ったから、ただ前を向いて今日この日に全てをぶつけられるように過ごしてきました」

拓馬さん:
「よく頑張った。頑張りました」

<拓馬さんの日記>
「卓也の決勝を見て感動しました。僕もこれから頑張ります。卓也ありがとう」

 そして、羽根田選手に動画を送りました。

拓馬さん:
「卓也お疲れ!また来てね!」

 羽根田選手から拓馬さんへは…。『一緒に挑戦することができて幸せです』。

 互いに支え合って挑戦した、2人が起こした奇跡の物語がありました。