自民党総裁選…“鉄の団結”の20年前に反旗 大村知事が当時派閥政治の打破狙ったワケ「処分覚悟だった」
自民党総裁選は9月17日に告示されました。今回、多くの派閥が支援する候補を一本化できないという「異例の展開」となっています。
派閥が「鉄の団結」だった20年前、総裁選で派閥の意向に反旗を翻したのが、当時衆議院議員だった大村秀章愛知県知事。派閥政治の打破を狙ったのは、ある理由がありました。
■派閥に縛られず候補者を選びたいとの声も…6派閥が自主投票とする異例の総裁選
河野規制改革相:
「目の前の重い扉を押し開けて、もう一度日本を前に進めていきたい」
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岸田前政調会長:
「政策論争を通じて、国民の信頼を回復する」
高市前総務相:
「精一杯私の政策を訴え、しっかりと伝わっていくように努力を続けてまいります」
野田幹事長代行:
「悲しみ・苦しみ・喜び・不安、そんなものをしっかりとお伝えし、政治を前へと進めていける、そんな1人になりたい」
4人が名乗りを上げ、17日から舌戦が始まった自民党総裁選。しかし…。
麻生会長(麻生派):
「まとめて1本でやろうとすれば、後で会派(派閥)が成り立たない」
石原会長(石原派):
「近未来(石原派)としては、自主投票でお願いしたいと申した通りであります」
7つある派閥のうち6つが支持する候補者を一本化できず、自主投票とする異例の総裁選となっています。若手からは、派閥に縛られず間近に迫った衆院選を睨んで候補者を選びたいとの声もあがっています。
福田衆院議員(細田派):
「ぜひ派閥一任等ではなく、しっかりと1人1人の党員及び議員が、自分の判断で投票ができるような環境を作ってほしい」
■20年前の総裁選でも「脱派閥」…「処分覚悟で」反旗を翻した大村愛知県知事
この「脱派閥」の総裁選は、過去にもありました。新聞紙面に「橋本派若手が反乱」「鉄の団結亀裂」の見出しが躍ったのは、20年前の総裁選でした。
大村衆院議員(当時):
「(Q.橋本さんは認められない?)いやそうじゃなくて、派閥の一任と言われても困ると、従えないということは申し上げます」
実は愛知県の大村秀章知事は、自民党橋本派の衆議院議員時代、脱派閥の動きの中心人物でした。
”鉄の団結”、“数は力”で存在感を示した田中派の流れを汲む橋本派。この時、橋本龍太郎元総理の復帰を狙い、野中広務元官房長官が派閥の引き締めを強めていましたが…。
大村衆院議員(当時):
「橋本派として、派閥でこう決めたから右向け右だということでは、それは従えないということを言っているのでね」
公然と反旗を翻し、ライバル派閥の小泉純一郎氏の支持を表明しました。
大村愛知県知事(現在):
「それは相当覚悟がありましたよ。処分覚悟というか、もう出てけというのは当たり前でしたから。『お前バッジ外せ』と、中でもそんなこと言われましたからね」
■現職総理が敗れる波乱も…自民党派閥政治の歴史
1955年、自由党と日本民主党が一緒になる”保守合同”で誕生した自民党。その後、かつての政党の流れを汲んだ派閥が生まれました。
1970年代は、派閥政治の全盛期。1978年の総裁選では、現職の福田赳夫総理が大平正芳幹事長に敗れる波乱も起きます。
福田首相(当時):
「天の声にも変な声がたまにはあるなと思いますね」
この頃、キングメーカーとして君臨したのが田中角栄氏。
1982年にも田中派の全面支援で中曽根康弘氏を総裁に押し上げるなど、派閥の力を背に自民党政治を牛耳りました。
大村愛知県知事(現在):
「自民党の派閥というのは、派閥の会長もしくはその準ずる方を、いわゆる総理総裁、自民党の総裁にして総理大臣にするんだというための集団なんですね。自分たちの担ぐ人を日本のトップに押し上げる。その代わりに派閥は所属議員に対して、選挙、政治資金、それから人事で面倒をみる」
1980年代後半からは、田中派の流れを汲む竹下派が120人余りの議員を抱え、新たなキングメーカーに。
弱小派閥にいた海部俊樹氏を総理大臣に擁立し、海部総理が自らの意思で解散を画策すると、その座から引きずり下ろします。
その後は当時49歳の小沢元幹事長が、3人の次期総裁候補を派閥の事務所に呼びつけて「面接」。権勢の強さへの揶揄で、派閥のリーダーである竹下、金丸、小沢の3氏は「金竹小(こんちくしょう)」とも呼ばれました。
大村愛知県知事(現在):
「(平成研究会は)総裁か幹事長を必ず出してきた、まさに中心的な名門派閥でしたから。竹下先生、小渕先生、あと野中先生ね、本当に当時の党の要職を全部仕切っていたような先生方ばっかりだったので、本当に教えられたなと」
■“謀反”きっかけで小泉純一郎総理が誕生…夏の参院選も圧勝
その恩義ある派閥になぜ反乱を…。
大村愛知県知事(現在):
「2000年6月に衆議院選挙があったわけですが、当時の森総理の発言によってですね、自民党大変苦戦しました。いよいよ本当に自民党はこれで落城するんじゃないか。そんな時にもまだ派閥単位で、次の森総理の後継を選ぶというのはいかがなものかと。それは派閥じゃなくて、それぞれの議員個人個人でリーダーを選ぼうじゃないか。それでないと、目の前にある2001年7月の参議院選挙は到底戦えないし、その後にやってくる衆議院選挙も、これもとても戦えないよと」
Q.錚々たる幹部がいる中、反旗を翻すのは怖かったのでは?
大村愛知県知事(現在):
「『もう次はない』ということをね、次はないというのは政治家としてないと、『議員として終わりだ』ということをいっぱい言われました。私も当時は『そうだろうな』と、そういうことだなと」
しかし、この造反が、この総理総裁の誕生につながります。
大村愛知県知事(現在):
「大本命だった橋本先生ではなくて、小泉純一郎さんが当選されて総理になって、急にグーンと支持率が上がってね、その夏の参議院選挙は圧勝大勝したんですから。あれで確かに自民党は一時救われたというのはあるんだろうと思いますね。いろいろ言われますが、あの時いろんな改革が進んだのは事実だったというふうに思いますね」
小泉総理は「一本釣り」の人事を断行。大村知事も経済産業大臣政務官に就任しました。
大村愛知県知事(現在):
「一本釣りするようになったから、自民党の派閥自体の力というのは本当に小さくなってきたかなという感じはありますね」
■大村知事「国家国民のためにどうあるべきかを」…新たな派閥のカタチは
自民党の派閥政治に風穴を開けた大村知事。今回の総裁選挙をどう見ているのでしょうか。
大村愛知県知事:
「本来目的である自分のグループ、派閥の会長親分を総裁に押し上げようという力が本当に弱くなったので、菅さんが急遽やめられたというのもありますけども、結局、派閥会長で手を挙げているのは岸田さんだけですもんね」
派閥が流動化する今回の総裁選を機に見えてくる、新たな派閥のカタチとは…。
大村愛知県知事:
「かつてのような強力な、一致結束・箱弁当、右向け右と、親分が白と言えば黒いカラスも白なんだというような時代にはもう戻らないと思いますけれども、やはり政策集団としての国会議員さんが、自分の政治信条だとか政策の志向だとかによって集まってきて、当時とは比べ物にならないぐらい少し緩い連合体でのグループ、それを派閥と称してもいいかと思いますが、これからも残っていくということだと思っております。それぞれの派閥集団グループの幹部リーダーの皆さんには、常に国家国民のためにどうあるべきかということを考えていただきたい」