開拓団守るため取引…“性接待”で20歳の時ソ連兵に差し出された女性 ウクライナ侵攻で甦る77年前の記憶
90年前、岐阜から「満州」に渡った「黒川開拓団」では、未婚の女性たちがソ連兵への性接待を強いられた。ロシア軍によるウクライナ侵攻が続くなか、改めて過去の戦争を振り返る。
■「泣かされるのは女性」性接待により集団自決を免れた「黒川開拓団」
岐阜県白川町の黒川で2022年4月、2年ぶりに満蒙開拓団の慰霊祭が行われた。
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黒川分村遺族会の藤井宏之会長:
「今、このときもウクライナではロシアの侵攻による戦争が行われています。あの逃げ惑う住民の姿をみるたび、とても人ごととは思えません」
<記録映画の音声>
「1931年9月、満州事変勃発、日本の自由になる満州国を樹立した」
90年前の1932年、日本は中国東北部に攻め入り、「満州国」を作った。全国から30万人のうち、黒川開拓団からは662人が海を渡った。
しかし、1945年8月、状況は一変…。
当時10歳だった安江菊美さん(87)は、一家5人で満州に渡ったが、終戦後は地獄だったという。
安江さん:
「終戦になってから奥地から、それこそ満人(現地民)の襲撃団が来て、歯向かえば殺される」
家や土地を奪われた現地の住民からの逆襲。さらに、国境を越えて連軍が攻めてきた。
安江さん:
「ソ連の一番下級兵の“ロスケ”が3人くらいで組んできてね、マンドリンのような鉄砲持って、銃口でこもをめくってくの。女探しです。母親に『もう3日たったら集団自決するんだから覚悟しておれ」って言われて」
まさに、この世の生き地獄。黒川開拓団がとった決断は…。
安江さん:
「ソ連の幹部の人に(団の警護を)頼むから、娘さんたちに出てくれんかと言って、独身の15人の娘さんたちをお願いされて、その方が性接待に行ってくださったおかげで自決することなく私たちは助かりました」
ソ連兵に未婚の女性15人を差し出し、開拓団を守ってもらう取引だ。
安江さん:
「『お前は風呂焚きしなさい』と言われて、そのとき母親が教えてくれた。『とにかく、娘さんたちがこうして私たちの自決をくいとめてくださるんだから、黙って一生懸命風呂焚け』と、叱られて焚いた。あれ(性接待)がなかったら集団自決していた。集団自決を食い止めてくださったんだから。うん…仕方なかっただけでは済まんと思うよ」
“乙女の碑”。性接待を強いられた女性の詩だ。
<“乙女の碑”に書かれている詩>
乙女の命と引き替えに 団の自決を止める為
若き娘の人柱 捧げて守る開拓団
終戦から1年後、黒川開拓団の451人はふるさとに帰った。
安江さん:
「弱い者が犠牲になる。同じ戦争をやっても上の人は絶対犠牲にならない。下の者が犠牲になる。戦争をすれば女性が(犠牲になる)。とにかく兵隊さんには女性がつきものでしょ。日本の兵隊さんだってそうだったから。泣かされるのは女性だから」
■ロシアのウクライナ侵攻「情けない…」ソ連兵の性接待の犠牲にあった女性
佐藤ハルエさんは20歳の時、ソ連兵に差し出された。2年前、“性接待”について私たちに話してくれた。
ハルエさん(2年前の取材):
「犠牲になれって、奥さんには頼めんでな、あんたら娘だけ犠牲になれって。そう長い時間じゃなかったけど、接待係の方がおって、そういうことがありまして犠牲になりまして、みなさん。女を出せっていわれるから、女を相手にして性交の相手をするだけ」
あれから2年、私たちは再びハルエさんを訪ねた。
ハルエさん:
「デイジーといって、これは昔からずっとここにはないけど、私の故郷なんかこれがものすごくあって、これは古いお花ですね。ここ入った人は、最初の頃は(満州から)引き揚げた人が多かったんですけども、その土地を金にかえて、関や美濃や岐阜に出てしまわれたんです」
岐阜県郡上市のひるがの。ハルエさんは、満州から引き揚げた後、ふるさとを離れてこの土地へ移った。
ハルエさん:
「ふるさとでは、そんな満州帰りの汚れた娘は誰ももらってくれん。主人も満州帰りですので、それで私をここへ迎えてくださった。『あんたら娘が犠牲になれ』って、体をちょっと提供したんです。性病をもらったりして、いま残っているのは3人。あとは死んでいったんです。私は病気にもなりましたけど、主人はそれを知ってここに嫁にもらってくれました。今度慰霊祭あっても、東京に1人と私と白川町に1人くらい…。もうおりませんけども、その時代のことは忘れません」
ロシアによるウクライナ侵攻が、ハルエさんの77年前の記憶を蘇らせる。
記者:
「今も戦争で苦しんでいる人がいるのは悲しいですよね」
ハルエさん:
「(首をふりながら)情けないですね…」
■「満蒙開拓で中国人は恨んでいたはず」他国の人を悲しませない歴史から学ぶ大切さ
長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館には、ウクライナ侵攻が始まってから来館者が増えている。
館長(来館者への講演):
「満蒙開拓と言うけれど、実際は現地の人の家や畑を非常に安い値段で買い上げて、使用人として使う。まあ当然、現地の中国の人は日本人のことを内心では恨んでいたといいます」
記念館では開拓団の被害とともに、日本の加害の歴史も伝えている。
館長:
「今のロシアはかつての日本でもあり、今のウクライナはかつての中国でもある。立場を変えれば、戦争の中では加害と被害というのが入れ替わっていく。だからこそ加害の立場に立たないように、自分たちの国の都合で他の国の人々を悲しい目にあわせるようなそんな国にしないように、両方からきちんと見ていくためにも、かつての歴史から学んでいくことはとても大事なこと」
■戦争を無くすには「地球上全部が助け合って生きる…」 来年98歳になる女性の切なる想い
ハルエさんは、9人の孫に恵まれ穏やかに暮らしている。来年2023年には98歳になる。庭に咲く真っ白なデイジーの花言葉は「平和」と「希望」、「純潔」だ。
どうすれば世界から戦争がなくなるか、ハルエさんに聞いてみた。
ハルエさん:
「お互いに欲というものを捨てるわけにいかんから、それで戦争になるんじゃないですか。今の人たちみたいに、うまいもの食べさえすればええ、ええもの着とりゃええ、そんな生活は本当に生きる価値ないと思います。人間、地球上全部がお互いに助け合って生きる。それはなかなか難しいこと」