75歳で母校の監督に…東大野球部の井手峻監督 影響受けた落合博満さんの言葉「彼のホンネ結構聞かされた」
東京大学野球部の井手峻(いで・たかし 78)監督は、東大を卒業し、ドラフトで中日ドラゴンズに入団。選手、コーチを歴任後、球団代表まで務めた。3年前、75歳で母校の監督に就任した井手監督に、変わらぬ野球愛とバイタリティの源について聞いた。
■次世代に残したい… “75歳・東大野球部監督”の源
日本の最高学府、東京大学。その敷地の一角にある“東大球場”は、1937年に建てられ、国の有形文化財にも登録されている。
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東京の最高気温が35度を記録したこの日…。
猛暑に負けず、熱心に選手を指導する東京大学野球部の井手峻監督の姿があった。火曜日の休みを除き、毎日朝から夕方まで、約100人の選手の指導に当たっている。
井手峻監督:
「朝5時に起きて…。自主練習で1日中ここを使っている感じで」
3年前の2019年11月、75歳で東京大学野球部の監督に就任。そのモチベーションはどこにあるのか?
井手監督:
「プロで長いことやっていたんで、プロで身に着けたことは、ここで(次の世代に)残したいなというのはありますね」
■史上2人目の東大出身プロ野球選手…引退後はコーチから球団代表まで
東京大学野球部で投手として活躍した井手監督は、1966年、ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。史上2人目の東大出身のプロ野球選手となった。
投手から外野手に転向し、俊足を生かして代走、守備固めとして活躍。引退後はコーチとして復帰した。
井手監督(コーチ就任時):
「前任の森下コーチが行動力のある人でしたからね、そのあとを埋めるのは大変だなと思っています」
その後は、1軍・2軍のコーチ、2軍監督などを経てフロントの道に。
球団代表も務め、ドラゴンズに尽くすこと47年だった。
■「東大なら神宮球場で野球ができる」東大を目指す野球部員のモチベーション
東大野球部を指揮する井手監督。自分の学生時代と今の学生はやはり変わったのだろうか…。
井手監督:
「圧倒されるくらい熱心で。(大学生活が)終わっても野球を続けたいというのが結構いて、みんな本当に野球が好きですね」
東京六大学野球リーグに所属する東京大学野球部は、慶応、明治などの強豪たちと熱戦を繰り広げる。1998年の春からずっと最下位が続いているが、野球推薦での入学者が多いほかの大学とは違い、全員が学力で東京大学の門を叩き、入部している。
農学部4年の井澤駿介投手:
「他大学も甲子園出ている選手が集まってきていて、そういう高いレベルで野球をやりたいと考えたときに、自分が出られるのは東大だなと考えて…」
工学部4年の西山慧投手:
「野球でトップレベルになるより、東京大学に入る方が自分にとっては簡単だったかなという感じだったんですけど。まぁ1浪しているので簡単じゃなかったですけど」
実は、部員のほとんどが東大野球部に入りたくて東大を受験しているという。しかも多くの人が浪人までしている。
井手監督:
「神宮(球場)でやってみたいというのはね。私なんかもそうでした。東大なら神宮に出られる」
■21年春は“リーグ最多”の24盗塁…東大式野球理論で作る「1アウト3塁」
練習や作戦は学生コーチらの自主性に任せている井手監督。選手たちは伸び伸びと野球ができているおかげか、就任2年目となる2021年の春のリーグで、法政大学に勝利。2017年の秋から引き分けを挟んで続いていた連敗を64で止めた。そして、2022年の春も早稲田を相手に2度引き分けている。
弱くてもあきらめない東京大学野球部。そこには東大が編み出したある作戦があった。野球は「すごろく」と考える東大式理論だ。
学生コーチ・法学部4年の小野悠太郎さん:
「走攻守ってあるんですけど、東大のチームカラーは走塁という風に…」
学生コーチ・経済学部4年の島袋祐奨さん:
「1アウト3塁をつくろうということはありますね。1アウト3塁だと、ヒットを打たなくても点が入るんです」
1点を入れるためには、4つ走塁しなければならない。そこで「アウトは3つまで」という当たり前のルールを追究。通常、バントで塁を進めるにはアウトが増えるため、3塁まで進んだ時には2アウトになってしまう。
アウトを増やさずに進塁するには「盗塁」が必要だと考えた。1アウト3塁の状態なら、犠牲フライやスクイズなどでも、点が入るからだ。
井手監督:
「1アウトサードっていうのが欲しいんですよね。長打を打ってバントで送るか、普通にヒットを打ってバントでは1アウト2塁にしかならないんです。もう一つ、何かで進めなきゃいけない。盗塁ってのはギャンブルなんですけど、弱いチームはギャンブルするのはしょうがないだろうと」
長打力がないなら足で稼ぐ。2021年の春は、リーグ最多の24盗塁を成功させた。
井手監督:
「いくらダメでも、自分から辞めない事というのが約束事であるんで。まぁ、そんなのは気にせずにみんなやっていますけど、『とても私たちではこのリーグ(六大学野球)ではできませんから辞退します』ということは言わないと。練習を続けて互角に近い戦いをなんとかしようと。勝ち点は…そのうちちょっと調子の悪いチームに…」
■「ヒットだけ狙っていれば4割打てた」時に“後輩”の落合博満さんの合理性も取り入れ指導
最年少の部員との年齢差は60歳近い井手監督。雑談する内容に困ることもあるようだが、ここで長年、ドラゴンズで培った経験が活かされていた。
井手監督:
「やっぱり私がいろんな(ドラゴンズの)選手を見たり話したりしていますから、彼らの話をした方が食いついてきますね」
井手監督:
「足運びと上体の動きがどうつながっていくかとか、選手の時はそんなこと考えずに感覚でやっているんですけどね。(選手時代の)落合と話したら落合が『選手うまくさせようと思ったら1年間コーチやらせればいいんだよ』って言うんですよ。『どうしてお前そんなことわかるの?』って」
中でも、最も影響を受けたのが落合博満さんだ。現役時代に三冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた、名選手であり、名将の野球人。
井手監督:
「彼の本音みたいなものは結構聞かされてね。彼の場合は三冠王がかかっていたから、『ホームランを狙うと打率が落ちる。ヒットだけ狙っていれば俺は4割打てた』とかね。それくらいの自信は持っていたんですね。本当に、ものすごい合理的な考え方でね」
年下である落合さんから学んだ合理性も取り入れ、孫ほどに若い部員たちを指導する井手監督。これからの人生も野球に捧げていく。