ラッコが3頭に激減!その理由は?
つぶらな瞳と愛らしい仕草のラッコ。私たちがよく知っている水族館の人気者ですが、現在日本で見られるラッコが減ってきているのです。いつの間にラッコは消えてしまったのか、真相に迫るため飼育の裏側を取材しました。
イタチ科の哺乳類で北太平洋沿岸などに生息するラッコが、日本に初めて輸入されたのは1982年のこと。1984年に三重県の鳥羽水族館で初めて赤ちゃんを誕生させると、日本に空前のラッコブームが到来しました。
1994年のピーク時には122頭もいたラッコですが、現在は2カ所の水族館でたったの3頭にまで激減してしまったのです。
その最大の理由は、アメリカからの輸入が禁止されてしまったこと。1989年アラスカで原油タンカーが座礁した際、3,000頭以上のラッコが死亡しました。
こうした背景から、2000年に絶滅危惧種に指定されたというのです。
日本でラッコを繁殖させるためには、他の水族館や動物園への輸送が不可欠。しかし、ストレスに弱いラッコを安全に運ぶシステムが日本では確立されていなかったのも理由の一つといえるようです。
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貴重なラッコの飼育の裏側に密着
日本全体の水族館で3頭しかいないラッコ。そのうちの1頭が福岡県にある「マリンワールド海の中道」のリロ(オス)です。年間62万人以上が訪れる水族館のアイドルとして、絶大な人気を誇ります。
2012年に和歌山県からやってきたリロ。その飼育を担当する濱野真さんに密着しました。
これまで13頭のラッコの飼育を担当してきた濱野さん。2000年頃は最高7頭を同時に飼育していたそうです。
ラッコの食事は、イカをメインにホタテなどの貝類を混ぜて1日5回。濱野さんは「ラッコはストレスに非常に弱い動物。変わったものを見ると気になってエサを食べない。あとは、暑いと熱のストレスで弱っちゃう」と話します。
ラッコが快適に暮らせるよう始めたのが、水槽の水温管理。濱野さんによると「水温を今までは通年15℃で統一していたのが、夏場は16℃まで上げて、冬場は12℃まで落としてる」。より自然の状態に近づけるよう季節ごとに水温を微調整しています。
ラッコを飼育する大変さは閉館後の作業にも。リロをエサでおびき寄せて別のプールへ誘導。それからプールに塩素をまいて掃除を始めます。
濱野さんは「ラッコの毛に害があるかもしれませんので、ラッコがいる時にはやりません」とのこと。
イルカやアシカはプールにいる状態でも塩素をまくそうですが、ラッコは他の動物に比べて心も体も繊細なのだとか。さらに、夜間の清掃中は外が明るいため、ロールスクリーンを設置して夜の暗闇を再現するそうです。
知られざる涙の物語
30年以上ラッコに寄り添ってきた濱野さんが、一番思い出に残っているのがマナ(メス)の人工保育です。
2012年に誕生したマナは、母親が授乳できない状態に。生後10日でのラッコの人工保育は日本初の試みとなりました。
毎日24時間の人工保育が約5カ月続き、ラッコに泳ぎを教えることもあったとか。そうした努力の結果、マナは無事にすくすくと成長しました。「マナが生きる力、思いが強かったと感じました」と濱野さんは当時を振り返ります。
そして9歳になった昨年、リロとの間に待望の妊娠が発覚!国内では8年ぶりの快挙にマリンワールドは歓喜しました。
しかし数日後マナは急変すると、母子ともに亡くなるという悲劇が待っていたのです。
濱野さん「言葉になりませんでした。もう本当に悲しかったです」
現在15歳のリロは人間なら50~60歳。残りの2頭はメスですが、リロの妹と高齢化しており繁殖は絶望的だとか。日本の水族館でラッコが見られるのは残り数年といわれています。
日本でラッコがいつの間にか減ってしまった背景と、知られざる水族館の裏側が明らかとなりました。