東京パラリンピックからの陸上で銅メダルを獲得した、愛知県瀬戸市出身の大島健吾(おおしま・けんご)選手は大会後、選手生命を脅かす大ケガに見舞われた。心の支えとなったのはアルバイト先の学童保育の子供たちの存在だった。

■2021年夏…大島選手の銅メダル獲得に沸いた子供たち

 2021年夏、大島選手のアルバイト先の学童保育。子供たちは、東京パラリンピックのユニバーサルリレーで銅メダルに輝いた、大島選手の姿をその目に焼き付けた。

【画像で見る】大会後に競技用義足も履けぬケガ…大島健吾 パリ目指し復活への一歩「上げていくしかない」

男子児童:
「よっちゃんこっち向いて~!」

「よっちゃん」とは、大島選手のニックネームだ。

男子児童:
「速すぎた!よっちゃん、速すぎた!よっちゃんめっちゃすごかった!」

女子児童:
「自分もいろいろなチャンスに負けたくないなって思った」

先生:
「『頑張れば夢は叶う』ってよっちゃん教えてくれたもんね?」

5日後、大島選手が学童保育に銅メダルを持って凱旋。

男子児童:
「よこせ~銅メダル!俺が一番最初!」

男子児童:
「重たっ!」

別の男子児童:
「なんで金獲ってこなかったの?」

大島選手:
「ごめんなさい、謝りますそれは。3年後!3年後!」

別の男子児童:
「どこでやるの?」

大島選手:
「パリ」

■生まれつき左足首から先がなかった大島選手 運命を変えた競技用義足との出会い

 大島選手は愛知県瀬戸市の出身で、三つ子の長男として生まれた。

生まれつき、彼の左足には足首から先がなかった。大島選手の運命を変えたのが、競技用義足との出会いだ。目指している動き・走りの課題に合わせて、義足を新調。足が取り換えられるからこそ、その可能性は無限大だという。

本格的に陸上を始めて3年半で、東京パラリンピックのメダリストになった。あの東京パラリンピックがもたらしたもの。

大島選手:
「やっぱり色んな人に応援してもらって、僕は色んな人に支えられて生きてきているので。その期待も背負い込んで、メダルを持って帰ってこられるだけの選手か選手じゃないかって考えたときに、僕は絶対に持って帰ってこれる人間でありたいと思ってたし、それを背負いこんでメダルを獲って帰ってきて、獲れるような練習をしていきたいと思っています」

■シーズン始まっても走れない…アキレス腱を損傷する大ケガ

 次の目標は2024年のパリ大会。しかし、シーズンが始まっても大島選手の姿はトレーニング室にあった。大島選手がスマホで見せてくれたのは、右足のレントゲン写真だ。

実は2022年2月、アキレス腱の部分損傷という選手生命を脅かすケガを負っていた。

競技用義足の影響で、長さが違う左右の足。アンバランスな動きが、体の負担につながっていた。

名古屋学院大学陸上競技部の松田克彦部長:
「(左右の)長さが違うので、義足じゃない方の足がつま先で接地することが多くなっちゃうんですね。アキレス腱は(完治まで)長くかかってしまうのと、それがきっかけで引退してしまう選手が多い。まだまだ課題はいっぱいあるってことですね。そういうのを1個ずつクリアしていくのが練習なので、一生それは探し続けなきゃいけないと思う」

走れないどころか、競技用義足も履けない日々。

大島選手:
「何か月だ…4か月くらい走ってないか…。もうそろそろ走りたいですね」

■パラリンピックがきっかけに…変わり始めた走り続ける理由

 4月11日、大島選手はこの日も学童保育を訪れた。

大島選手:
「ここ来れてなかったら、僕今しんどいっすもん、走れなくて。たぶん、走れなくてストレス発散もできなくて」

そんな大島選手に、女子児童がカメラを持ってインタビューをしてくれた。

女子児童:
「なんでさあ、アスリートになったの?」

大島選手:
「なんで?なんでだろう。どこまで足速くなるかなって知りたいだけだから、あんまり理由はないや」

子供の前ではこう答えた大島選手だったが、アスリートとして走り続ける理由、それは子供たちの期待に応えるためだった。

大島選手:
「メダルを獲るっていうよりも、そこまで応援してくれた人が多いことが嬉しい財産だなと僕は思うので。最初の方って、自分の才能を証明したいがためにやってた面が大きかったんですよ。『メダルを獲ってきて』って言われるようになって、それに応えてあげたいっていうのがきっかけなのかな」

パラリンピックがあったからこそ生まれた、多くの人との関わり。

「期待に応えたい」。その思いから、大島選手が走る意味は変わっていた。

■パリへの新たな一歩 9か月ぶりに試合出場

 7月6日、医師から試合への復帰許可をもらった翌日。

名古屋学院大学陸上競技部の松田克彦部長:
「そうそうそうそう!OKOK!」

大島選手は走れる喜びをかみしめながら、復帰レースへ最終調整をしていた。

大島選手:
「やばい、疲れちゃいますもん。バンって力を出して1本走るってなってくるとめちゃくちゃ疲れる。でも走れて気持ちいいですけどね」

 そして雨の中迎えた7月10日の「愛知パラ陸上競技フェスティバル」。

約9か月ぶりの試合に出場した大島選手は、義足クラスの100mで「11秒86」。

1着でゴールしたものの、自己ベストの11秒19には遠く及ばなかったが…。

大島選手:
「うーん、走り切れてなかったのかなと思うけど、それにしても遅すぎるなって感じですね。でもここから上げていくしかないので、どれだけ上げていけるかかなと思います」

東京パラリンピックから1年。ケガを乗り越え、2年後のパリへ新たな一歩を踏み出した。