約半世紀前に愛知県で生まれ、その後姿を消した幻のケーキ「ファンシー」。ファンシーを原型としたケーキはたくさんあるが、本家の「ファンシー」を復活させたいと、脱サラまでして取り組んでいる男性に密着した。

■きっかけは“元祖”との出会い…脱サラし「ファンシー復活」目指す男性

 愛知県豊川市の徳田慎一(とくだ・しんいち 37)さん。ファンシーの復活に挑戦している。

【動画で見る】半世紀前に愛知で誕生…『元祖ファンシー』復活させたい脱サラケーキ職人の覚悟の挑戦

徳田慎一さん:
「(自動車系の仕事をしていたが)約3年くらい前からもっと自分にできることはないかなということで、いろいろ勉強しているんです」

きっかけは、“ある本”との出会いだったという。

徳田さん:
「近藤昌平さんという方の本(ビジネス書)なんです」

徳田さん:
「一度(近藤さんに)お話を伺いたい、ということでお会いさせていただいた。その時に『ファンシー』の話が出て、『徳田君、ファンシーというお菓子を知っていますか?一宮が発祥で、とても多くの方に愛されたケーキですよ』と教えていただいて…」

徳田さん:
「元祖を作ったのが『ボンボヌール時代の近藤昌平社長』だったわけなんですけど、その方に許可を頂いて今回復活させたいなと」

■約15年前に閉業し元祖は幻に…今では呼び名が違う愛知の「ご当地スイーツ」に

 そもそもの元祖「ファンシー」というケーキは、四角いスポンジの中に生クリームが入ったお菓子だ。

「アントルメ」「ポワロン」「パリジャン」など、地域によって呼び名が違うが、愛知のご当地スイーツだ。

ルーツは、昭和41年(1966年)に一宮市の「ボンボヌール」という店で、近藤昌平さんが始めたものだった。

しかし、ボンボヌールは15年ほど前に廃業。

ファンシーも製造中止となり、“幻のお菓子”となった。

■家族は驚きも妻「みんなで頑張る」…ロールケーキで練習続ける毎日

 徳田さんは、それを復活させたいというが、お菓子作りの経験はないという。

徳田さん:
「ずっと製造業で働いていますので、洋菓子だとか食べ物は全然作った経験はないです」

 自動車部品メーカーに19年間勤務していた徳田さん。9月で辞め、ケーキ職人を目指すことに。

 決断を聞いた時は、家族も驚いたという。

徳田さんの娘:
「すごくびっくりしました。『なんで?』と思いました」

徳田さんの妻:
「みんなで頑張ります。家族だから…」

安定した職を捨ててまでの挑戦…。徳田さんは夏から、ファンシーに作り方が似ているロールケーキで毎晩練習しているといい、腕前を見せてもらった。

徳田さん:
「今度これを湯銭で溶かすっていうことなんですけど、その準備を…初めにこれもやっておけばよかったですね…。ここだったか…こっちか…どこにあるかがそもそもあまりわかっていないんですよね」

まだまだぎこちないが、3時間かけて完成。

意外と形になっていて、食べた子供たちの感想は…。

徳田さんの娘:
「おいしい!ベリーグッド!!」

徳田さん:
「まだファンシーは作れてはいないですけど、1個ずつ知識としても増やしていって形にできるように技量も高めていかないといけないなとは思いますね」

■製造は「発祥の地・一宮で」…有名ラーメンチェーン社長も助っ人に迎え進む「復活への道」

 それから3週間後。徳田さんの姿は、一宮市の紡績工場跡地にあった。

徳田さん:
「今日は工場を業者さんに見てもらって、この中でファンシーを作るためにどういう整備をしなければいけないのかというのを(確認する)」

実は徳田さん、「元祖ファンシーを復活させるためには、発祥の地・一宮からやる必要がある」と考えていて、せっかくならファンシーが生まれた一宮で製造したいと、工場兼住宅として借りられる物件を探していた。

強力な“助っ人”も現れた。名古屋発の有名ラーメンチェーン「フジヤマ55」の社長、澤竜一郎(さわ・りゅういちろう 51)さんだ。

フジヤマ55の社長・澤さん
「できれば、壁もそのまま活かしながらやりたいけどね…」

徳田さん:
「コンパネ(コンクリートパネル)みたいなの貼らないとまずいかな、ということですよね…」

澤さん:
「ほこりがたまるとあかんので…」

3年前にたまたま徳田さんと知り合った縁で、今回、熱意に押されアドバイザー役を引き受けたという。

澤さん:
「これだったら1000万、1500万くらいかかりそうなので、そうすると絶対ひよる(弱気になる)ので、一人でやったらさすがに難しいので、そこらへんは僕が最初のプラットフォームは作れるので…」

徳田さん:
「ありがたいです」

貯金を切り崩すなどして費用は工面したが、飲食店の運営は全くの素人。周りの人たちが頼りだ。

徳田さん:
「やると決めてから自分のイメージよりはだいぶ早いですね。会社を辞めると言ってから、まだ2カ月ほどしか経っていないので」

仕事を辞め、工場もレンタル、もう引き返すことはできない。

家族を養っていくためにも、ここは覚悟を決めて突き進むだけだ。

■見た目はまだまだでも味は“高評価”…テストキッチンでファンシーを初試作

 さらに1週間後、徳田さんは、名古屋市内にある食品メーカーにいた。

フジヤマ55の澤さんの紹介で、本格的な機械を備えたテストキッチンを借りることができたという。

商品化を視野に、いよいよ「ファンシー」の試作だ。

徳田さん:
「家庭用で食べる量だったら自宅用の大きさでもいいと思うんですけど、これからは多くの方にファンシーを届けるとなると、こういう専用の機械が必要になりますね」

ロールケーキは上手に作れるようになったが、ファンシーを作るのはこの日が初めて…。

また、機械を使って作るというのは、別モノのようだ。

徳田さん:
「全然違いますね、やっぱり。設備も大きいですし、量も全然違いますし」

それでも、ロールケーキで練習してきた成果もあり、なんとか生地を焼き上げた。

そして、いよいよ生地と生クリームを合体させる…。

徳田さん:
「ふわふわしているので、ちょっと力入れるとぐちゃっとなっちゃいますね」

生地のスポンジがところどころ割れていたりと、ばらつきはあるものの、見た目は「ファンシー」そっくりだ。

しかし、肝心なのは味。元祖の味を知るフジヤマ55の澤さんに評価をお願いした。

澤さん:
「結構好きだったんですよ、ファンシーが。なので、ちょこちょこ食べていました」

出来栄えについては…。

澤さん:
「まさに初めて作ったみたいな、そんな感じはありますね。まだちょっとムラがあるというか…」

さすがは飲食のプロ、厳しい指摘。そして味は…?

澤さん:
「うん!ファンシーっていったらやっぱり、素朴な感じのお菓子っていう僕のイメージがあって、生クリームも最近みたいにそんなに濃厚ではないし、サクッと食べられるような感じには仕上がっていますね」

…と高評価だ。

澤さん:
「あとはやはり、生地がもうちょっとふんわりしていた記憶があるので、そこら辺を今後、改良を何回も重ねていければいいと思います」

ファンシーらしさについては…。

澤さん:
「一番最初に作った割には、結構再現できていると思います」

徳田さん:
「おいしいです。先程言っていただいたように、ふわふわしたものを作れるように頑張りたいと思います」

徳田さん:
「まずは、できたものは近藤昌平さんに食べていただきたい、という思いがあります。そこが一番楽しみです」

 一宮の工場兼住宅の工事は、10月中旬に完成する予定で、年明けをメドに一般販売を考えているという。資金面で課題があり、約400万円ほどかかるオーブンやミキサーといった設備の費用を集めるため、10月中旬にクラウドファンディングを立ち上げる予定だ。