ジブリパークはなぜ愛知だったのか…鈴木敏夫の心を動かした『1人の火付け役』隠された思いとその舞台裏
愛知県長久手市に開園したジブリパーク。東海テレビでは11月6日(日)午後4時5分から、ジブリパーク開園の舞台裏に密着した特別番組「おんこちしん ようこそジブリパーク」を放送します。なぜジブリは愛知県を選んだのか…隠された思いや、その舞台裏に迫りました。
いよいよオープンした「ジブリパーク」。その舞台裏に密着し、講談師の神田伯山さんと一緒に、ジブリパークの秘密に迫りました。
伯山さん:
「鈴木敏夫さんといえばジブリの名物プロデューサーでございますけれども、まぁこの方は私も親交があるんですけど、本当に面白い方ですね」
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、名古屋出身です。
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ジブリパークはなぜ愛知にできたのか、その秘密を聞きました。
鈴木敏夫さん:
「だからやっぱり人ですよね。そういう人がいないと。白井さんというのが今回のジブリパークの火付け役。あの方は長久手の近くに住んでいらっしゃるんですよね」
中日新聞の元会長・白井文吾さん。ドラゴンズの優勝祝賀会で鈴木さんと出会いました。
その後、白井さんは愛知県豊田市で開かれたジブリの展覧会を見て、こんな提案を…。
鈴木敏夫さん:
「『鈴木さん、ああいうの(展示物)はどのくらい、今まで色々あるんだろ?色々な種類が。それをしまっておく倉庫を作らない?』と言われたんですよ。これがきっかけです」
スタジオジブリが各地で開く展覧会。その展示物を愛・地球博記念公園で保管して、一般公開するというアイデアでした。
鈴木敏夫さん:
「(白井さんは)モリコロパーク(愛・地球博記念公園)を何とかするメンバーの1人だったんじゃないんですか。利用されている方が年間160万人いらっしゃる。その人たちから公園を奪いたくない、それは最初から付帯条件として白井さんが言ってきた」
2005年、万博の会場だった愛・地球博記念公園。その豊かな自然と、人々の思い出を守りたい。それが白井さんの願いでした。
鈴木敏夫さん:
「だから全部ジブリで使ってもらっちゃ困るみたいな。この人、面白い人だなと思って。あの人がいなきゃやってないような気もするし」
鈴木敏夫さん:
「もう1人ね、大村知事。あの人もなかなかでしたね。僕の東京の事務所に、なんだかんだ8回も足を運んでいただいて」
ジブリパークは公園の地形や自然を生かしながら建設。大きなアトラクションや乗り物は作りませんでした。
ジブリの大倉庫は温水プールを改装。「故きを温ねて新しきを知る」温故知新の心は、ジブリの哲学と同じです。
宮崎吾朗監督:
「古いものを残すことというのは、どこかで大事なんじゃないかと思うようになった」
宮崎吾朗監督:
「これは宮崎駿に言われたんですけど、『ちょっと古くさい方がいいんだ』って、映画作りでも言われたんですよね。それは古びないからだって言われたんですよ」