今の「トヨタ自動車」の初代社長を務めた豊田章一郎さんが14日、心不全で97歳で亡くなりました。自動車業界、そして東海地方の発展に貢献したその足跡を追いました。

 2005年に開かれた愛・地球博。

 トヨタ自動車の名誉会長、豊田章一郎さんは、博覧会協会の会長を務めました。

【動画で見る】変革・創造・信頼で大胆な経営…合併後のトヨタ自動車初代社長・豊田章一郎名誉会長が遺した“世界平和への想い”

 当時の取材に対し…。

豊田章一郎さん:
「地球を大事にしなくちゃいかんと。世界を平和に繁栄していくってことのきっかけになればいいと思いますな」

「地球を大切に」「世界を平和に」と語りました。

名古屋市出身で、名古屋大学工学部を卒業した章一郎さん。

豊田章一郎さん:
「大胆な構想、着実な実行ということを基本におきましてですね、3つの言葉『変革』とそれから『創造』とそれから『信頼』ということを念頭におきまして、これからの色々な活動をやっていく」

 変革、創造、信頼。その3つを大切にしながら、いつも大胆な経営手腕を見せてきました。

 章一郎さんの死を悼み、岸田総理大臣も…。

岸田総理:
「トヨタを世界一の自動車メーカーに育て上げられ、日本の自動車産業をリードされました。あわせて経団連会長として日本経済をけん引された、こうした大きな努力をされました」

 そして愛知県の大村知事も…。

大村知事:
「トヨタ自動車、トヨタグループの総帥としてね、ご活躍をされてきた。愛知県民を代表して謹んで哀悼の意を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げたいと存じます」

 豊田章一郎さんがトヨタを「世界のトヨタ」へと押し上げた足跡。1982年、まだ別会社だった自動車製造を担うトヨタ自動車工業と、販売のトヨタ自動車販売が合併し、新たに「トヨタ自動車」が発足。

 章一郎さんが、新社長に就任しました。

 日米貿易摩擦という難局を打開するため、アメリカ・ケンタッキー州に、トヨタ単独で北米初の自動車工場を建設。

 そして1992年には社長を退いて会長になり、1994年には自動車業界としては、初となる経団連の会長を務めました。

 クルマだけでなく、「人づくり」にも尽力した章一郎さん。2006年には、イギリスのイートン校をモデルにした全寮制の中高一貫校「海陽学園」を設立。

 初代理事長をつとめました。

 そして2005年。博覧会協会の会長を務めた章一郎さんは、愛・地球博を振り返って…。

豊田章一郎さん:
「色んなところで色んな人にお目にかかりましたけどね。みなさん非常に喜んでおられた。全体の雰囲気が良かったんじゃないですか。やはり地球を大事にしなくちゃいかんということと、世界中の文化、世界を平和で繁栄していくということのきっかけになればいいと思いますな」