岐阜県可児市は、人口約10万人のうち8000人余りが外国籍の市民だ。かつての「出稼ぎ」から「定住」にシフトしつつあり、日系人の学習や就職などを手助けするブラジル人の「日系サポーター」の役割に注目が集まっている。新たな課題もみつかっている。

■イジメもあり「毎日泣いていた」…自身の経験から日系人を支援する「日系サポーター」

 日系ブラジル3世の吉實(よしざね)よしおさん(32)は、国際協力機構=JICAが2021年に新設した「日系サポーター」の一員として2022年6月、ブラジルから可児市へやって来た。

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日系サポーターの大きな役割の1つは、中南米に住む日系人が来日して「日本に住む日系人」を支援することにある。この日、吉實さんが担当したのは、小学校に入る準備のための教室だ。

吉實さん(ポルトガル語で):
「(色鉛筆で)グルグルをやってみて」

子供たちの多くは保育園や幼稚園に通っていないため、日本語がほとんど話せない。やんちゃな子供たちをなだめすかしながら、何とか課題に取り組ませていた。

吉實よしおさん:
「誰かを手伝うと、自分もうれしい。前、自分も子供のころ、わからない時はサポートしてくださる人もいて、その人たちにつられて未来に自分もやってみようかなと、頭の奥でそういうのを考えていたので」

吉實さんは両親の出稼ぎで、7歳から5年近く静岡県で過ごした。

地元の小学校に通ったが、当初は日本語が全く理解できなかったという。

吉實さん:
「毎日ぐらい泣いていたかな。イジメとかもありましたし…」

それでも、辞書を使って会話をしてくれた担任の先生をはじめ周囲の助けもあって、日本の学校に慣れていった。

その頃の経験が、日系サポーターとしての活動につながっている。

吉實さん:
「多分、彼(先生)がやってくれなかったら、日本語は上達していなかったかもしれない。誰が何を話してもじっとどこかを見て、早く終わって欲しいという気持ちが多かったかもしれません」

ブラジルに戻って、世界的なコンサルティング会社に勤務していたが、かつて自分がしてもらっていたように日系人の子供たちの役に立ちたいと、日本にやってきた。

■かつての「短期出稼ぎ」から「定住化」へシフト…増える外国籍の子供たち

 バブル経済がピークを迎えた1989年、ブラジルやペルーの日系人は、入管法の改正で『定住者』として扱われるようになった。

就労制限がなくなったことなどから「日系3世」などの来日が急増。その主な目的は「デカセギ」だった。

岐阜県内でも、可児市や美濃加茂市の工場などに多くの日系ブラジル人らがやって来た。

可児市国際交流協会の担当者:
「働くところがあることが大きいと思う。県下最大と言われている工業団地があるということと、派遣会社が借り上げるような古くなったアパートがたくさんある」

現在、日本国内に約30万人いるといわれる日系人。かつては、お金を稼いで母国に帰る「短期的な滞在」が主だったが、治安の良さなどの理由から、最近では家族で来日して暮らす「定住化」へとシフトしつつある。

可児市は、人口約10万人のうち、8000人余りが外国籍の市民で、日系人をはじめとする外国籍の子供たちも増えてきている。

可児市の小中学校に在籍する外国籍の子供は、全体の10%を超えたという。

■過半数が「外国にルーツ」の高校も…日本人教師もサポートに感謝

 吉實さんは可児市だけでなく、隣接する御嵩町の県立東濃高校でも生徒をサポートしている。

明治時代に創立され、120年以上の歴史を誇るこの伝統校でも、フィリピン人やブラジル人の生徒が増加している。

東濃高校の校長:
「今、半分を超えました。うちは『外国につながる生徒』と呼んでおりますが、外国籍または日本国籍を持っているけれども外国にルーツがある子が52%でした」

2022年度は過半数が外国にルーツがある生徒になった。日本語の指導が必要な生徒も増えている。

校長:
「当初想定していた(1学年)15人ぐらいを上回って、日本語の指導が必要な生徒が入ってきているということです」

吉實さんは月に2回ほどこの高校を訪れ、国際クラスの日本語の授業で物語などを読む「多読(たどく)」のサポートをしている。

吉實さん(男子生徒に):
「お父さんは木をあまり売ることができませんでした。買うは『comprar』、売るは『vender』」

日本語がほとんど話せない男子生徒に「売る」という言葉の意味を教えるなどしていた。

男子生徒(日本語訳):
「(吉實さんが)助けてくれました。本の内容も少し難しかったので、1人ではあまり理解できなかったと思います」

授業が終わると、日本人の教師と生徒たちの習熟度などの情報を共有する。

吉實さん:
「実際に1ページごと読んでもらって、後でポルトガル語でわかったかと聞いたら、わかっていたページもあれば、ちょっとここはわからないというのもあったので…。でも7割は自分で読んだ」

東濃高校の日本語担当教師:
「どういうふうにしていくと、彼らしく生きていけるか。私もポルトガル語がわからないので、彼が本当はどういうことを言いたいか、日本語だけの一面でしか彼を見ることができていなかったというところが、そこを吉實さんにフォローしていただいているというのは、すごく大きいところがあります」

■「労働力」から「社会の一員」へ…日本で生き抜くために「いろいろなことにトライして」

 日本を出稼ぎの場ではなく、ふるさとにするためには、生活習慣や語学を身につけるのはもちろん、日本社会で生き抜くための力も身に付けなくてはいけない。吉實さんが子供たちに伝えているのが、挑戦する大切さだ。

吉實さん:
「スタートする時は何もわからないの、それは大丈夫。後から見て、あの先輩すごいね、あんなことをもできる、こんなこともできる。でも最初は何もわからなかったんだよ。音楽が好き、エンジニアが好き、でも違う仕事が来たらそれもやってもいいんですよ。ぜひいろいろなことにトライしてください。今、皆さんまだ学生なので間違えてもいい。いっぱい間違えてね」

日本とブラジル、2つの国で自ら道を切り開いてきたからこそのアドバイスだ。

生徒:
「失敗とかは大丈夫だけど、『大事なのは挑戦をすること』というところが印象的でした。私、コンピューター関係の仕事をしたい、専門学校に行くこと(が目標)」

別の生徒:
「デザインの仕事をしたいです。なぜかというと絵を描くことが好きだから。少しでも毎日、絵を描くようにしたいです」

また別の生徒:
「吉實さんがコミュニケーションをとることが大切だと。『間違えてもいいから、挑戦すること』もすごくわかりました」

吉實さん:
「将来的にここで過ごすか、違う道を進んでいくかは重要なので、もしここに残って工場で働いたら、お父さん・お母さんと同じルートになるので、日系人であったら30年続いているので、この輪から別なルートもあるというのを紹介してあげたいですね」

「単純な労働力」から「社会の一員」へ。そのためには、本人や吉實さんらサポーターたちの努力はもちろん、受け入れる私たちにも、課題が突き付けられているかもしれない。

2023年1月10日放送