三菱重工は2月7日、「スペースジェット」の開発から撤退すると正式に表明した。日本中が見守った国産ジェット機への挑戦は、15年で幕を閉じた。

■1兆円投じた「日の丸ジェット」に幕

泉澤清次社長(会見・2023年2月7日):
「本日の取締役会におきまして開発の中止を決定いたしました」

【動画で見る】“日の丸ジェット”の夢は幻に…三菱重工がスペースジェット開発から撤退 再開信じていた地元「言葉もない」

2023年2月7日、三菱重工業の泉澤社長は記者会見で国産初の民間ジェット旅客機「三菱スペースジェット=旧MRJ」の開発を断念することを明かした。開発の長期化による技術の見直しや、さらに巨額の資金が必要なことなどから、「事業性が見通せない」ことを理由とした。

開発を事実上凍結してから2年…。

泉澤清次社長(会見):
「まず、立ち止まってから、なぜ2年もかかったのかということだと思いますけど。それだけのプロジェクトだったということです。何か手はないか、どこかに突破口がないかということを模索していたと。皆さんの期待も含めて大きなプロジェクトであって、そんな簡単に結論が出せなかった」

国費約500億円を含む、1兆円を投じたプロジェクトが幕を下ろした。

■開発の足枷になり続けた「型式証明=TC」取得

 戦後初の国産旅客機「YS-11」。

「YS-11」以来、多くの期待と希望を背負い進んだ、「日の丸ジェット」の夢。

その道のりは、波乱の連続だった。「MRJ=三菱・リージョナル・ジェット」の名で事業化が決まったのは、いまから15年前の2008年。

北米などでの将来的な需要を見越したコンパクトな機体。日本から世界へ、国際航空市場への進出を目指した。

2014年にはMRJの機体が公開され、航空ファンのみならず、多くの人が胸を高まらせた。

そして、2015年、初飛行に成功。

2016年には…。

海外の航空ショーにも出展するなど、約300機の受注も決め、順調に進んでいるようにも見えたプロジェクト。

しかし、常について回ったのは「開発の遅れ」だった。足枷になり続けたのは、商用飛行に必要な「型式証明=TC」の取得。

度重なる設計変更やTCの取得の遅れが響き、納期を相次いで延期。当初、初号機は2013年の納入を目指していた。

機体の名称を「MRJ」から「スペースジェット」に変更するなどイメージアップを図ったが、2020年2月には実に6度目の延期。

新型コロナの影響による航空需要の低迷もあり、10月には三菱重工が「開発を一旦立ち止まる」と表明し、年間で600億円としていた開発費を「3年間で200億円」に大幅削減。プロジェクトは事実上の凍結だった。

こうした状況について、航空業界に詳しい専門家は、次のように分析する。

航空評論家の杉江弘さん:
「最大の原因は、アメリカで型式証明(TC)が取れなかったことなんです。北米で大きくシェアを伸ばすということが前提で、約600機の受注をしないと利益が出ないという計画だったんです。ですから、北米のマーケットは欠かせない。試作機ができた後に、重要な設計変更をしないと型式証明を取れないことがわかってきた。絶望感が強かったんじゃないですかね。三菱の関係者も知り合いがいていろんな情報が入ってきたんですけど、なんというか“しらけていた”と。現場はしらけています」

■開発再開を諦めていなかった地元からも惜しむ声

「事実上の凍結」から2年あまり。

県営名古屋空港に隣接する、「スペースジェット」の最終組み立て工場。そこにはもう、人の気配はなかった。

かつては「MRJ」や「スペースジェット」が翼を広げた豊山町の空。空港デッキに訪れる人からも、惜しむ声が上がっていた。

男性(65):
「かっこいいですよね、細身でね、いい恰好していたんだけど。国産だから陰ながら応援はしていましたけど。飛んでいるところを見たかった」

開発の過程を間近で見守ったという人もいた。

元県営名古屋空港勤務の女性(28):
「(2014~2018年に)グランドスタッフとして(県営)名古屋空港で働いていて、格納庫も行かせてもらったこともあるんですけど、綺麗だったし、機内も見させていただいて、MRJのデザインもかっこよかった。本当に楽しみだなと思っていたんですけど。乗ってみたかったですね」

完成を心待ちにしていた人は、決して少なくない。お膝元の豊山町も同様だ。

豊山町産業建設部の高桑悟部長:
「豊山町で製造されて、豊山町で初飛行して、世界へ羽ばたいていくものと思っておりましたので、大変ショックで言葉もありません。再開されることを強く期待していました」

2020年の「凍結宣言」以降も、開発の再開を諦めていなかった。

高桑部長:
「(名刺に)今はFDAの写真なんですけど、それが(以前は)スペースジェットの写真使わせてもらっていた」

豊山町の面積の3分の1が名古屋空港。

そんな“ヒコーキの町”で働く職員の名刺には、かつてはスペースジェットが誇らしげに描かれていた。

観光パンフレットの表紙も、旧MRJが“センター”だったが…。

2023年に作られたガイドブックの表紙を飾ったのは、「自衛隊機」。すでにスペースジェットは姿を消し、そしてついに幻となった。

高桑部長:
「神明公園から空港が一望できますので、スペースジェットを見ることもできたのではないかと思います。それを見に訪れた方々が町内のいろんなお店にも足を運んでもらえるようになれば、という期待もしておりました。非常に、本当に、残念ですね」

■27億円以上を支援した愛知県 「撤退」で産業への影響は

 愛知県の大村秀章知事は…。

大村秀章愛知県知事:
「三菱スペースジェットの開発が早期に完了するよう、国に対し強力な支援を要請し、その後も継続的に国へ要請活動を行ってきただけに、大変残念であります」

航空宇宙産業を「自動車産業に並ぶ」と位置付けてきた大村知事。これまで県として、広大な県有地を提供したほか、造成費用なども含め27億円以上を負担するなどしてきた。

あくまで、「飛行機の完成」を前提とする支援だったため、「撤退」となればこの地方の産業にも大きな影響となりえるが…。

大村知事:
「(工場などは三菱重工から)航空機産業に引き続き使っていきたいという意思は示されています。三菱重工の航空宇宙関係は、愛知県に集積している。航空宇宙産業に使うということで、具体的なご相談はこれからあると思っています」

再び「日の丸ジェット」の機運を高めていくことについて、専門家は、厳しい見方を示した。

杉江さん:
「もっと早く(事業状況が)ダメなものはダメだと、はっきり言うべきだった。今度同じようなことでやっても、世界のユーザーは目を向けてくれませんから。ジェット旅客機の分野では、ちょっともうお先真っ暗ですね。航空機産業の力を持っている会社、あと国が一緒になって今回の失敗の原因を分析して、『もう1度やり直そう』ということなら、十分可能性はあると思います」

2023年2月7日放送