「やっと手を合わせられる」御嶽山噴火で息子失った父が最期の場所へ 我が子の靴履き9年越しの“おかえり”
58人が死亡、5人が行方不明となった2014年の御嶽山噴火。多くの人が死亡した登山道の一部エリアは規制が続いていたが、9年がたった2023年7月末に解除されて登ることができるようになった。息子の軌跡を探し続けた、父親の9年を追った。
■御嶽山噴火で亡くなった息子 最期は恋人と寄り添うように
2023年7月23日、愛知県一宮市の所清和(ところ・きよかず 61)さんは、妻の喜代美(きよみ 61)さんと、山頂を目指して御嶽山を登った。山は9年前のように晴れ渡っていた。
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息子の祐樹(ゆうき 当時26)さんは9年前、恋人の丹羽由紀(にわ・ゆき 当時24)さんと山に登り、亡くなった。
2014年9月27日に起きた御嶽山噴火では、58人が死亡し、今も5人が行方不明となっている。
噴火の翌日、所さんは麓の王滝村を訪れ、息子の情報を必死に聞いて回っていた。
所清和さん(噴火の翌日):
「とにかく情報だけ欲しいもんで、なんとかよろしくお願いします」
噴火から4日後、息子が見つかり、山からヘリコプターで降りてきた。
最期は山頂の山小屋の下で、恋人の由紀さんと寄り添っていたという。
■会話がなかった親子…父親が始めた「写真で探す息子の足跡」
小さい頃から体を動かすのが大好きだった祐樹さん。社会人になってからは、登山に夢中だった。
清和さんの妻・喜代美さん:
「みんなこれ、登っては自分で(撮影していた)。全然知らなくて。とにかく休みになると、朝出てって帰ってくるのが夜。どこへそうも行くんやろって」
祐樹さんが山を好きな理由を、父親の所さんは知らなかった。会話がほとんどなかった、父と息子の関係。山が好きなことも、当日に御嶽山に行っていたことも、恋人と登っていたことも何も知らなかった。だからこそ「息子のことを知りたい」という思いでこの9年間、息子の足跡を探し続けてきた。
デートはどこに行って、どんなことをして楽しんだのか。同じ服を着て同じ場所に行き、写真を撮影してまわった。
祐樹さんと由紀さんがどうやって最期を迎えたのか、噴火当日に山を登っていた人たちから写真を集めた。
清和さん:
「でも結局、自己満足なんだよね、何をしても。答えが返ってこないから。もっと他にやり方があると言われるかもしれないけど、私は私の中でやれることをやっているつもり」
■噴火1分前の写真に写った2人の姿から生じた疑問
写真を探す中で、噴火の「1分前」に撮影された写真が見つかった。
写真を拡大すると、山小屋の横を歩く2人が写っていた。
遺体が見つかったのは、山小屋の外壁にある「トイレ」の看板の真下のあたりだ。トイレに行こうとした時に噴火に巻き込まれたとすると、あと少し早くトイレに逃げ込んでいれば、無事だったかもしれない。所さんはずっと知りたいと考えていた。
清和さん:
「思い込みでトイレに向かったと思っているけど、(写真を)見たら道があるから、本当は下山する時だったのかなって。私はこれだけ確かめたいなって。地元の人に聞きたい」
■母は痛み止めを飲みながら…規制解除エリアは目前に
2023年7月29日、9合目の山小屋から山頂までのエリアで立ち入り規制が解除された。このエリアは噴石が降り注いで多くの犠牲者が出た場所で、9年かけて避難シェルターの整備などが終わった。祐樹さんと由紀さんの2人も、このエリアの中から見つかっている。
清和さん:
「やっと今年、息子たちが登ったルートで行ける。“連れて帰ってくる”っていうのが、ひとつのけじめ。一番大きな区切り。3年、5年とか、そういうことじゃなくて、やっと本当の区切りができる。やっと手を合わせられるなって」
2023年7月23日、規制解除を前に遺族らの立ち入りが許され、所さん夫婦は山頂を目指した。
残された写真を頼りに、息子と同じ場所を辿る。
妻の喜代美さんは持病で膝を痛めていたが、痛み止めを飲んで登っていた。
Q大丈夫ですか?
喜代美さん:
「やっとここまで」
清和さん:
「(喜代美は)口では『行けるところまで』って言っているけど、やっぱり…。だってやっと行けるんだもん、その場所に。そう思うと9年は長いですよ」
登り始めて3時間半、標高約2900メートルにある9合目の山小屋に到着した。ここから山頂までが、規制されていたエリアだ。
清和さん:
「来たね。やっと連れて帰って来られる。体は帰ってきたよ、とりあえず。体は帰ってきたけど、なんか自分の中で帰ってきてないっていうのがあって」
■長かった9年間…遂に息子たちの“最期の場所”へ
9年間入ることが許されなかった規制エリアの中へ。最期に何があったのか、助かることは出来たのか。他の遺族や、山小屋の元支配人も付き添ってくれた。
清和さん:
「この間って、トイレ行く道あるんですか?」
山小屋の元支配人:
「トイレ行く道はね、間からこういう感じで入る。たいがいね、トイレ行く人は“登り”で行っちゃうよ」
清和さん:
「トイレ行ってきて、もう降りる?」
山小屋の元支配人:
「下山だと思う」
清和さん:
「下山か、いやぁ…」
2人は小屋がある“トイレの方”ではなく、逃げ場のない“下山する方”へ向かっていた可能性が高いことがわかった。
そして、息子の「最期の場所」へ。
清和さん:
「ここら辺で亡くなっているんですよ。石があって、ちょうどここらへんで発見されているんですよ」
山小屋の元支配人:
「これが剣ヶ峰山荘の調理場だから、ちょうどここら辺」
噴火当時のまま残っていた石垣を頼りに、やっと辿り着いた。
2人が履いていた靴、そして、2人を思って育てたひまわりを手向けた。
喜代美さん:
「ここにいるかもよ?」
所さんは、息子の靴を履いて、山を降りることを決めていた。
清和さん:
「帰りはヘリコプターで降りてきてるから。祐樹の靴を履いて家に戻って、玄関から帰って、はじめて私の中の供養は終わりと思っています」
噴火から9年、父は、探し続けた息子を連れて帰る。
清和さん:
「自分の中ではすごく、今までのモヤモヤがとれた感じで。あとは、下山して無事に何もなく、家に帰る事だけですね。本当に長かったです」
■9年経て息子が“帰宅”…父「大きな区切りになった」
所さん夫婦は、祐樹さんの恋人の由紀さんの家に向かった。由紀さんの“帰宅”を、母親の丹羽真由美さん(59)も待っていた。
喜代美さん:
「こんばんは。ただいま」
由紀さんの母・丹羽真由美さん:
「おかえりなさい」
清和さん:
「連れて帰りましたので」
真由美さん:
「ありがとうございました」
そして自宅へ。息子の帰宅。所さんは玄関に靴を置いた。
清和さん:
「おかえり」
仏壇に靴を供えた。
清和さん:
「うちに連れて帰りました。ありがとうございます」
清和さん:
「自分の中では、大きな区切りになったような。私ができる限りは、毎年(御嶽山の)あの場所でひまわりを飾って、『来たよ』って一言。それでいいと思います」