最新作『なれのはて』で戦争描く…NEWSメンバーで作家の加藤シゲアキさん 表現者として語った“覚悟”
2023年10月に発売された、アイドルグループNEWSのメンバーで、作家としても活躍している加藤シゲアキさんの最新作「なれのはて」が話題となっています。
この中で加藤さんが描いたのは「戦争」です。アイドルとして20年、作家として10年。36歳の加藤さんが一人の表現者として覚悟を語りました。
■最新作「なれのはて」で戦争を描いた理由
2023年10月24日、東京都文京区の「講談社」。
加藤シゲアキさん:
「加藤シゲアキです。本日は『なれのはて』刊行記念記者会見にお越しいただきありがとうございます」
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アイドルグループNEWSのメンバーで、作家の加藤シゲアキさん(36)。10月に出版された最新作「なれのはて」で描いたのは“戦争”です。
加藤さん:
「いつか書いてみたかった社会派なものであったりとか、1人の人間として30代半ばの男性として、書きたいもの、読みたいものを形にするのはどうだろうと。そもそも戦争は日本中、世界中、日本各地できっとあったはずだから、まだ描かれてない戦争があるのではないかと」
2023年でデビュー20周年を迎えたNEWS。加藤さんの作家生活も10年を超え、文学賞も受賞しました。
今回、戦争を題材にしたのには理由がありました。
加藤さん:
「僕、生まれが広島なんですけど、そのご縁で広島の(戦争関連の)お仕事をいただく機会が多くて。そういった中でどんどん(戦争を)体験した方が減っているという事実があり、自分も何か語り継いでいかなくてはいけないのではないかと。『いつか加藤さん、広島のことを書いてください』と言われていたんですけど。その気持ちもすごくあるんですが、広島はすごくあらゆる作品で描かれてきていて、広島以外の戦争はどうだったんだろうなと思って。母が秋田(出身)なんですよね。それでネットで『秋田 空襲』とか入れたら、『土崎(つちざき)空襲』というのが最初に出てきて。それが日本最後の空襲の1つだったんですよね」
■1日早く降伏していれば…祖母に聞いた「土崎空襲」
「なれのはて」は、1枚の絵の謎をめぐるミステリーで、戦争、家族、ジャーナリズム、芸術など、社会に対して様々な問いを投げかけた意欲作です。
物語の舞台の1つ、秋田市の土崎は戦時中、街の石油工場が狙われました。
終戦前日の1945年8月14日から15日未明にかけて、130の爆撃機が1万2千発の爆弾を投下し、250人以上が犠牲に。この土崎空襲が「日本最後の空襲」となりました。
母のふるさとで空襲があったことを知らなかった加藤さんは2023年8月、20年ぶりに秋田を訪れました。
残されていた「日本最後の空襲の跡」を見て、加藤さんが強く思ったこと。「あと1日早く降伏していれば…」。
加藤さん:
「戦争のことを家族に聞くのってちょっと勇気がいるんですけど、このタイミングで祖母に話を聞いて土崎空襲を知らなかった自分にもがっかりだったし、知ってしまった以上これは書かなくちゃいけないのかな、何かに『書け』って言われているのかなと思って。秋田の土崎の日石の工場跡に、焼けただれた柱があるんですよね。いまは無くなってしまって、柱だけ別の資料館に保存してあるんですけど、知らなかったらただの柱なんですけど、鉄がただれるくらいの熱さだったと知ると、とても恐ろしくなる。間違いなく思ったと思うんですよ。早く降伏していれば、あと1日早く降伏していればなかった戦争だって」
■愛知県豊田市でもあった「最後の空襲」
あと1日早く降伏していれば、誰かの人生が変わっていたかもしれない。そんな空襲が愛知県豊田市でもありました。
当時、軍需工場だったトヨタ自動車の挙母(ころも)工場に爆弾が直撃。従業員は避難しましたが、工場は大破しました。
豊田市で起きた戦争を伝え続けている「豊田市平和を願い戦争を記録する会」の松原勝己さんが、その時の資料を見せてくれました。
「豊田市平和を願い戦争を記録する会」の松原勝己さん:
「この資料はですね、実は終戦前日の1945年8月14日にトヨタ自動車が模擬原子爆弾を受けた時の被害の状況を示した写真です。もともと模擬原子爆弾というのは、確実に原爆を投下するための実験弾だったと。しかしその目的を達してしまったあとなので、一般爆弾として落としたと」
豊田に落とされたのは原爆と同じ形、同じ重さの「パンプキン爆弾」、原爆投下の訓練用に作られた「模擬原子爆弾」でした。
終戦前日、8月14日に空襲があったのは全国12カ所。広島と長崎に原爆を投下した後、なかなか降伏しない日本に対し、アメリカは1000機の爆撃機で、地方の街を攻撃しました。
戦争と平和の資料を展示している「ピースあいち」の金子力さんも、加藤さんと同じような思いを持っていました。
ピースあいち運営委員の金子力さん:
「アメリカはフィナーレという言葉を使っているんですけれども、最後の幕切れの攻撃をしようと。あと1日早く戦争が終わっていれば、亡くならなくてよかったとか、家が燃えなくてもよかったという話を聞くたびに、なぜ8月14日だったんだと。なぜそれ(ポツダム宣言受諾)が遅れたのかということも含めて、もっと明らかになればいいなと思います」
■自分に資格があるのか…「なれのはて」に込められた表現者としての覚悟
加藤さんは「なれのはて」をコロナ禍で書き始めました。情報が錯綜し、考えや意見が多様化した当時の様子を見て、「きっと戦争時もそうだったんじゃないか」と感じていました。
加藤さん:
「ウクライナのことがあったり、安倍さんの襲撃事件であったりとか、ジャニーズ事務所の問題とか、本当に重なるところが沢山あった。書かなくてはいけないという気持ちと書いていいのだろうかというはざま、自分にその資格があるのかというのはすごく自問自答を繰り返しながら、それでもやるという覚悟を持って最終的には責了したという形です」
アイドルとして、作家としてエンターテインメントの真ん中で生きてきた加藤さん。今回の作品では、1人の表現者として強い覚悟がありました。
加藤さん:
「はっきり言って、『この表現はアイドルだとまずいな』と思ってやめたことは一度もないです。自分自身も楽しいだけのものを書いていることでいいんだろうかと、少し疑問がありました。若い方に少しでも何か問いかけたい、一緒に問題を、小説って答えを与えるものではなくて、問いを与えるものだと思っている」
最後に、加藤さんは「小説を書く理由」について語ってくれました。
加藤さん:
「物語にすることが重要だと僕は思っているから、物語の力っていうのが今こそ必要なのかなとは思っています。僕個人としては、より良い社会になってほしいと思って小説を書いているし、より良い社会に少しでも関わりたいと思っているし、力になれたらというのは思いますね」
2023年11月9日放送