2万5千人の町にド派手な車130台…“痛車”コンテスト誕生秘話 アニメ好きの公務員「企画なぜか通った」
オタク文化から生まれた「痛車(いたしゃ)」は、今や「ITASHA」で通じるほど、世界で定着しているといいます。その痛車のイベントが2023年11月、岐阜県の山間にあるのどかな町で行われました。
提案した企画が「なぜか通った」という公務員の男性は、「全国の人に町の良さを知ってもらいたい」と話しています。
■イベントは既に7回目 人口25000人の町に集まった130台の痛車
岐阜県の南西に位置する垂井町は、人口約25000人の山に囲まれたのどかな町です。
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この街に2023年11月、北海道から九州まで約130台のド派手な車が集まりました。
鹿児島から来た大学生:
「(後ろの車が)車間を詰めてきたりとか(笑)。よく見てみたいんだなという気持ちが伝わってくる感じがしましたね。気持ちいいですね」
アニメのキャラなどを恥ずかしからず堂々と車にデザインした、通称“痛車”の魅力を競うコンテストです。
2023年で7回目を数えます。
今回、来場者の投票などにより、日本一に輝いたのは、外見はシンプルなデザインの痛車でした。
派手な車も多かった中、シンプルながらも内装にまでこだわったデザインが共感を呼びました。
来場者の女の子:
「楽しかった」
女の子の父親:
「キャラがわからなくても、痛車は目立つのですごいなと」
■世界で定着した「ITASHA」…所以や権利の問題は
雑誌『痛車天国 超(スーパー)』の川原憲一さんによるとそもそも「痛車」とは、いわゆる日本の「おたく文化」から生まれたもので、車体に漫画やゲームなどのキャラクターなどを装飾した車のことを指し、車の所有者が自虐的に「見ていて痛々しい車」で「痛車」と呼んでいたのが、一般に根付いたということです。
2000年代の初めから増え始め、お台場でのイベントでは毎年1000台が集まるといいます。
日本だけではなく、アメリカ、ヨーロッパ、東アジアに東南アジアなどでも「ITASHA」で通じるほどに定着し、世界有数のカーレースにも出場しているということです。
しかし、権利の問題はどうなっているのでしょうか。痛車は二次創作のルールを守って楽しむのがマナーです。制作会社に許諾をとっている専用の業者に依頼したり、個人でDIYで作ってしまう人もいます。
「宣伝になる」ということでデザインを提供している制作会社も一部ありますが、制作会社とタイアップした「公式痛車」まであります。
そんな公式痛車の一例が、岐阜県の多治見市役所の公用車です。
多治見市役所の職員:
「市役所の職員で観光の仕事をしています。『痛公用車』と世間では呼ばれています」
多治見市を舞台にしたアニメを施されていて、乗っていると視線を感じたり写真を求められたりすることもあり、市のPRに大いに役立っているといいます。
■イベント前には業者にも予約が殺到…痛車はどうつくるのか
その痛車はどうやってつくられているのでしょうか。新潟県のカーラッピング専門の会社「K-WindsオフィスK(ケーウィンズ・オフィスケー)」に聞きました。
まずはラッピングしたい車を採寸し、パソコンで作ったデザインをシートに出力して、車に貼り付けていきます。
車の形状に合わせて切り取っていくのは当然ですが、ドアやガソリンのフタが開くよう、切り込みなども入れながら慎重にカットしていきます。そして約500℃の「ヒートガン」を当てて、伸び縮みさせながら貼り付けていきます。全てが手作業で、2人がかりでも1週間程かかるといいます。
痛車のイベント前には予約が殺到し、3カ月待ちになることもあるということです。
値段はこの会社では、デザイン費や施工費などすべて込みで軽自動車が50万円から、SUVやセダンが70万円から、ワンボックスが90万円からとなっています。
洗車は手洗いで約5年はもつということでした。
■なぜ垂井町で「痛車イベント」なのか…50歳の担当者「単純に僕がオタクっていうか」
そんな痛車イベントが岐阜県の小さな町で始まったのは、公園の管理などをする公務員、中村文彦さん(50)の発案でした。
中村文彦さん:
「何か新しいコーナーを作れないかっていう意見募集がありまして。で、企画を書いて出したところ、それがなぜか通ってしまったって形なんです」
元々は町おこしのイベントを町が募集し、中村さんが応募したのがきっかけでした。
中村さん自身も痛車を所有していますが、奥さんから「近所に見られたら恥ずかしい」とNGが出たため、「苦肉の策で」ボンネットの裏側を装飾する“痛車愛”ぶりです。
中村さん:
「(垂井町は)全く関係なく。単純に僕がオタクっていうか、アニメ好きで。イベント自体やったことないですし、本当にもう手探り状態で」
垂井町と痛車は全くの無関係で、イベント経験もなかった中村さんですが、とにかく「痛車愛」のみで突っ走りました。
全国の痛車イベントを回り、手作りのチラシを配り、参加を呼び掛けてきました。
その結果、2017年に行われた第1回のイベントには64台が参加して大成功を収め、その後、7回目を迎えるまでに成長しました。
痛車イベントという異例の町おこしを、町はどう見ているのでしょうか。垂井町の早野博文町長に聞きました。
早野博文垂井町長:
「(案が上がった時)私も当時、役場の職員でしたので記憶致しております。全国から駆け付けてくれる若い方もいらっしゃるのかなと思いまして。地元に帰られても『垂井って良い所だよ』って、広まってくれればうれしいなというふうに思っております」
垂井町の知名度は決して高くありませんが、痛車のイベントで名前を知ってもらう機会が増えたと実感しているといいます。
町の人の声を聞くと「まあまあ」受け入れられているようです。
垂井町民の女性(60代):
「国道を走るのは見たことあるんです。スゴイなと思う(笑)」
垂井町民の男性(70代):
「(町の発展に)一役買っているんじゃないかな」
垂井町民の女性(80代):
「痛車…?痛い車と書いて…?事故とかそういうのじゃなしに?」
経済効果を調べるため、JR垂井駅前にある飲食店でも話を聞きました。
飲食店の店長:
「前の日も痛車関係の人が来店してくれたり、かなり大盛況で盛り上がったと思います。車なので、その関係で10人ぐらいいても、全員オレンジジュース、ウーロン茶とかで。(居酒屋で)全員ノンアルコールで…」
経済的にも、少し貢献しているようです。
中村さん:
「日本全国47都道府県、すべての方から来てもらって、でも本当に今以上にあの全国的に知名度が上がればなあって考えています」
2023年12月8日放送