およそ半世紀にわたって親しまれてきた岐阜県岐阜市の百貨店「岐阜高島屋」が7月31日、その歴史に幕を下ろします。最終日には多くの客が訪れ、店側も“感謝の気持ち”として、特別なお菓子を用意していました。

■「いつか帰ってきて!」駆けつけた客1000人の行列

 岐阜高島屋は1977年に開業し、47年がたった2024年7月31日が最終営業日となります。柳ヶ瀬商店街には31日、朝から約1000人の人が列を作っていました。

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列に並ぶ人:
「(午前)4時ちょっと前です。1番でした。高島屋さん、いつか帰ってきて!」
 
 高島屋のシンボル・バラが先着470人に渡され、店内には閉店を惜しむたくさんのメッセージもありました。

店員:
「もう最後なんだなって。47年間、お客さまに愛されて支えられてきたんだなと」

■「柳ヶ瀬ブルース」の美川憲一さんもエール

 岐阜県唯一の百貨店として多くの人に愛されてきましたが、施設の老朽化などの理由から閉店を決めました。

 柳ヶ瀬の核となる存在として、商店街のにぎわいを支えてきただけあって、今後を心配する声があがりました。

紳士服店:
「一時的にはどうしても売り上げが落ちるやろうね」

佃煮店:
「ここ(岐阜高島屋)に買い物に来た人をいかに受け取るかとやってきましたので」

 そんな中、7月7日には歌手の美川憲一さんが訪れ、ヒット曲の「柳ヶ瀬ブルース」でエールを送りました。

美川憲一さん:
「高島屋があって、皆さんが本当に通い慣れた楽しい町並みの一角だったから。頑張ってくださいね。本当に応援していますから」

柳ヶ瀬商店街振興組合連合会の理事長:
「2年前に美川さんが来てくれた時に、『しぶとく生きるのよ』と良いお言葉をいただいたので」

■「最後にできる限りのことはしたい」

 31日午後2時前には、店内の一角に行列ができていました。目当ては、高島屋の和菓子バイヤーイチオシの銘菓です。最終営業日にあわせ、鮮度などの理由からこれまで販売の叶わなかった夏の生菓子を、バイヤー自ら京都まで買いに行ってきたということです。

高島屋の和菓子バイヤー:
「最後にできる限りのことはしたいなと。柳ヶ瀬という街が僕は好きなので寂しいですし、ずっと通って下さった皆さんには感謝しかないです」

 全ては、長年支えてくれたお客さんへの“感謝の気持ち”です。

客:
「最後の思い出に来ました」

別の客:
「お菓子愛と岐阜高島屋さんの愛情があふれている」

 岐阜高島屋は31日午後7時に、47年の歴史に幕を下ろします。