2025年は、戦争の終わりから80年の大きな節目を迎えます。次の世代にどう語り継いでいくかについては、もう長く問われています。名古屋市は、戦争を後世に伝えていくための動画を作り、2024年12月、公開しました。動画の制作には地元の高校生たちも携わりました。

■戦争の悲惨さを後世へ…高校生も携わり名古屋市が動画を制作

<名古屋市が制作した動画>
「これは、みなさんのひいおばあちゃんやひいおじいちゃんが子どものころ、戦争が終わったころの名古屋です」

【動画で見る】平和のバトンを次の世代へ…名古屋に残る“戦争の記憶”を動画に 取材した高校生「他人事でなく自分事として」

空襲で焼け野原になった名古屋の街。

<名古屋市が制作した動画(語り手へのインタビュー)>
「お前だけは生き延びろと。そんなこと言うなら、何で一緒に逃げてくれないの?っていう気持ちだよね」

戦争を知らない子供たちのために、名古屋市がおよそ15分の動画を新たに制作し、2024年12月14日、初めて公開されました。

会場には若い高校生たちの姿がありました。戦争の語り手たちへの取材を担当したといいます。

高校生:
「人間らしさというか、当時の生活感をすごく感じられて」

別の高校生:
「何を意識して発したらいいのか、周りに伝えていきたいと思います」

■高校生が戦争経験者にインタビューも…太平洋戦争では約8000人の死者

 名古屋は太平洋戦争で、63回の空襲を受け、およそ8000人の死者がでました。最も激しかった終戦3カ月前の5月14日の空襲では、名古屋城が焼け落ちました。

戦争を二度と繰り返さないために。2024年9月、高校生ら9人が集まりました。高校2年の松井佑樹さんもその1人です。

松井佑樹さん:
「(高校では)戦争について考えようというのは全くなくて。次の世代につなげていかないといけないなと感じました」

この日は、戦争を経験した語り手へのインタビューです。

森下規矩夫さん(87):
「上空を通過するときに焼夷弾を落としていったようで、まわりに火の手が上がって。離れて落ちてくれたのが幸運であったと思っています。運が良かった、それに尽きますね」

自分たちが暮らす平和な日本の悲しい歴史、松井さんも真剣に耳を傾けます。

松井さん:
「当時の森下さんは、空襲がくることについてどう思っていましたか」

森下さん:
「日本は勝っているという話ばかりでしたから、まさか日本の空にアメリカの飛行機が飛んでくるなんて、想像もしていなかったですね」

別の高校生:
「鉄兜をぶら下げてリュックを背負っていたと聞いたんですけど、重くないんですか」

井戸早苗さん(85):
「逃げていたから、そんな重い軽いすらないね」

取材を終えると、1人1人が感じたことを付箋に書いてまとめます。

松井さん:
「本当に手いっぱいになっちゃうと誰も助けてくれない。信じられるのは自分だけというのが印象に残りました」

河合錬さん(高校3年):
「経験した人たちの口から耳に入ってくるというのが大事だなと思って。私たちだけになると重みが足りなくて、このままだと平和の継承は難しいのかなって」

■平和のバトンを次の世代へ…動画は小中学校での授業でも利用へ

 体験者が語る言葉の重み。松井さんたちの取材をもとに制作された動画。

<名古屋市が制作した動画(語り手へのインタビュー)>
「それが爆弾の音だということもわからなかった。ふるえながら防空壕の中でじっと耐えていた」

「私はさすがにヘビはよう食べませんでしたけれど、カエルは食べましたよ。もう思い出してもゾッとしますけど、だっておなかがすいて仕方なかったんですもん」

記憶は映像に残されました。平和のバトンを次の世代につなぐのは自分たちです。

松井さん:
「平和って他人に任せようではなくて自分から行動して、自分の意見を持つことが大事なんじゃないかなと思います。他人ごとではなくて、自分のこととして考えてほしい」

完成した動画は小学生向けと中学生以上向けの2種類で、今後、授業で使われる予定です。