
ロシアのウクライナ侵攻から3年が経った。戦火から逃れ日本に避難したウクライナ人たちは、母国の平和を願いながら、新しい環境で懸命に生きている。しかし今、当初は多く寄せられた食料や日用品などの支援物資が減るなどしていて、世間の関心が薄れている現状があった。
■避難民にとっての拠点が名古屋に…企業の支援でオープンした飲食店に14人が働く
名古屋市中村区にあるウクライナ料理店「ジート」(2025年4月に名古屋市中区栄に移転)。
ビーツの鮮やかな深紅色が特徴の「ボルシチ」に、バターとハーブを鶏のささみで包んだ「キーウ・チキンカツレツ」など、ウクライナの伝統料理を提供している。
【動画で見る】「毎日ミサイル毎日人が死ぬ」ウクライナ避難民や支援者が感じる“関心の低下” 日本語上達からは3年の長さも

2024年5月、地元企業の支援などでオープンした。店で働くのは、ロシアの侵攻で避難したウクライナ人たちだ。
ウクライナ文化協会の川口プリス・リュドミラ理事長:
「20人の従業員がいて、その中で14人がウクライナの避難民です。みんなどうやって仕事するとか、みんなとても心配しているから、私は『もちろんみんなずっとサポートするから心配しないで』って言っている」
ウクライナから避難した店員:
「日本語を覚えられない人、また勉強する機会がない人、あと仕事に就けれない人の為に、このレストランはとてもいい」

ジートは避難民にとって、大切な拠点となっている。
■馴染みつつある日本での生活 それでも母国の心配は絶えない日々
愛知県大府市に住むマリ・カテリーナさん(39)は、長女と長男と3人でウクライナ北東部「ハルキウ」から避難してきた。その後に夫も来日し、日本で次男・レオ君(0)も産まれ、今は5人家族となった。
マリ・カテリーナさん:
「レオ君、上の歯が生えてくる。だから毎日泣いている。痛い痛い」

カテリーナさんは、侵攻からおよそ3カ月が経った2022年5月に来日した。ポーランドやドイツなどを転々と避難してきたが、大府市内にある市営住宅で新たな生活を始めた。
マリ・カテリーナさん(2022年5月):
「ずっとアパートは他の家族と一緒で、1つか2つの部屋に3家族で暮らすこともあった」
当時は英語での会話だったが、日本で暮らした3年間で、徐々に日本語でコミュニケーションが取れるようになった。
マリ・カテリーナさん:
「(Q日本語がすごく上手になりましたね) “すごく”じゃなくて少しだけ。息子と一緒に(国語の)宿題をやっている時に勉強する。一緒に」

中学1年の長女・マリアさん(13)も、日本語の勉強を前向きに取り組んでいる。
マリアさん:
「ここも間違えた。なんて読む?」
学校の先生:
「これ『美しい山』」

マリアさん:
「日本語でこれを書くの難しい。いつもできない、この問題」
学校の先生:
「英語で書いたりとか、ウクライナ語で書いてくれても、先生が翻訳したりするからね」
マリアさん:
「でもダメ」
学校の先生:
「頑張りたい?日本語で?さすが、すばらしい」

カテリーナさん一家は、支援団体や大府市などからも援助を受けて日本に馴染みつつあるが、気にかかるのはやはり、母国・ウクライナの情勢だ。
マリ・カテリーナさん:
「たくさんの人、友達が死亡しました。旦那さんのお母さんも、毎日少ない時間寝ている。東の町に住んでいます。ハルキウに毎日爆弾来るので」
■“ガザ地区”の問題等も影響か…避難民への支援物資が減少している現実
ロシアによるウクライナ侵攻は、3年を迎えた。
ウクライナの死者数は、少なくとも5万5000人(推定)に上る。法務省によると、2025年1月末時点で2747人が日本へ避難し、このうち東海3県への避難民は132人に上っている。
日本ウクライナ文化協会の榊原ナターリヤさん(41)は、2008年に来日し、これまで100人以上の避難民を支援してきたが、今は危機感を抱いている。
侵攻当初は企業や個人から集まった支援物資の数々も、侵攻から3年を前に、少なくなってきたという。

日本ウクライナ文化協会の榊原ナターリヤ副理事長:
「暖かい服とか食器などの日常生活の物があります(Q量的には減っている?)減ってきました。半分以上ですね」
イスラエルとガザ地区の問題をはじめとした国際情勢も影響し、ウクライナ侵攻への関心が低くなっているのではないかと危惧している。

日本ウクライナ文化協会の榊原ナターリヤ副理事長:
「3年間続いている中で、みんな落ち着いているかと思ってるんですけど、そういうことではないです。なんでかと言うと毎日同じで、毎日ミサイル、毎日ドローン、毎日人が死んでいることばかりで、ニュースが同じようなことは見せられないだけです。でも、攻撃が少なくなってきているわけじゃないから、逆に、どんどん強い武器を使っています」
■300人の会場で“8人”だけ…コンサート開催も表面化した「関心の低下」
支援が減っている現状に危機感を抱いているのは、ウクライナ人だけではない。
愛知県安城市に住む葛西孝久(かさい・たかひさ 74)さんと妻・不二恵(ふじえ 73)さん。孝久さんは、教師を早期退職してキーウに移住し、大学で日本語を教えるなど現地で12年間生活していたが、侵攻を機に帰国した。
帰国後は、避難民の支援を続けてきた。

2024年12月には、安城市と岡崎市で、収益を避難民への支援に充てるためにチャリティーコンサートを企画した。
しかし、人が集まらず、ウクライナへの関心の低下を肌で感じたという。
葛西孝久さん:
「12月19日に安城で。23日に岡崎で。結局集まったのが岡崎で“8人”です。300人の会場で8人がぽつんと見ているっていう。8のうちの何人かは知り合いですので」

葛西さんは、侵攻から3年の節目でイベントを企画することも考えていたが、断念した。

葛西孝久さん:
「(3年目の節目には)残念ながらやれませんでした。もう希望する自治体もない。反応がないものは、今頃になって手の打ちようはなかったので、今回は断念しました」
■母国を常に思いながら日本で過ごす避難民 願うことは「戦争を終わりたい」
アメリカのトランプ大統領の就任で、一気にウクライナ情勢は動き出そうとしている。
ウクライナから愛知県大府市に避難しているマリ・カテリーナさんの兄は今、戦地にいる。兄弟だけでなく親族もまだ、戦禍のウクライナにいて、無事を祈り心配の絶えない日々が続く。

マリ・カテリーナさん:
「トランプとプーチンが話したニュースを見ました。戦争終わることをみんな希望します。もし戦争を続けると、私たちのウクライナの(領土を)返してもらいたいけど、大変。戦争が、もう1年もう1年と続ける。どうする。大変だけどしょうがない。終わりたい、戦争」

ロシアによる侵攻から3年。避難民が願うのはただ1つ、ウクライナの平和だ。
2025年2月21日放送