03 徳山秀典さん(高梨比呂人役)

――台風の目としての比呂人

 この枠の作品に出演するのは「インディゴの夜」以来ですが、昼ドラって驚くくらい自分の周りでも観ている人が多いんですよ。僕には姉が二人いて、「今度中島(丈博)先生が書く昼ドラに出る」と話したら、「えぇ~!」ってのけぞるくらい喜んでくれました(笑)。

 この作品のテーマの一つが「純愛」ですが、いろんな愛の形が登場します。その中で比呂人は“台風の目”じゃないかと思うんです。桜子にとって一番穏やかな存在でありつつ、一番激しく心惹かれていく人物じゃなきゃいけなくて、そんな彼を守りたいがために、桜子は激しい人生の渦に巻き込まれていく、という説得力を持たせるためにも。桜子と比呂人の純愛は、“純愛”というカテゴリーの中で一番分りやすいものだと思います。色で例えるなら純白。そのためにも僕も比呂人をとことん誠実に演じるつもりです。

 比呂人は人と接することが苦手なんだけど、なぜか桜子とだけは何も構えることなく、話が出来るんです。人が辛い気持ちでいると、サッと手を差し伸べられる優しさも持っていて、人のために泣ける男でもあります。劇中でも桜子を想いよく涙を流すので、「何だか泣き虫な男だな」って思うんですけど、そんな彼が相手だからこそ観て下さる皆さんも「こんな純愛したいなー」と思ってくれるはずですよ。

――意味のない“ドロドロ系”という言葉

 中島先生の作品は今回初めて出演しますが、セリフはもう気持ちで言うのみ。僕は気持ちを込めて言えば、どんなセリフもちゃんと届くと信じているんです。撮影が始まってすぐの頃は、なかなか言わないセリフだし、独特の世界だし、戸惑いが大きかったんです。そこでプロデューサーさんや監督に相談したら、「いくらでもこの世界を自分の中に入れるのに時間をかけていい。なぜなら、この作品は徹底したフィクションなんだから」と言われたんです。さらにどうせなら完ぺきなフィクションの世界を作り上げよう、と言われ、完全に吹っ切れましたね(笑)。

 最初に台本を読んだときは、単純に「あ、セリフが長いな」と思いました(笑)。台本にはそのときの役の心情とか行動とかが書いてないので、非常にイマジネーションがかき立てられました。演じる側がいろいろ想像して、準備していかないと、立ち向かえないから、ちょっと怖くもありましたが、読めば読むほど、胸を締め付けられる場面ばかりなんですよ。こんな物語をお書きになる中島先生はすごいと思います。「参りました!」って感じですね。中島先生の作品は“ドロドロ系”という言葉でくくられがちですけど、そんな風にカテゴリーに納めることには意味がないと思うし、今はひたすらこの作品に出合えたことに感謝しています。

――大吟醸のような愛を体現したい

 物語は昭和50年代初頭から始まりますが、僕自身は昭和57年生まれです。髪を切り黒く染めましたが、参考までにと古いアルバムを引っ張り出し、親父が若かったころのデートらしき写真を見ました。まあ、あまり参考にはならかったですけど(笑)。飛騨高山にロケに行ったとき、個人的に酒蔵の工場を見学しましたが、飛騨高山って町としてはすごくコンパクトにまとまっていて、当時は今よりもっと閉塞感や“しがらみ”みたいなものがあったと思うんです。そういう土地だからこそ、桜子と比呂人の愛は成立したんじゃないでしょうか。今みたいにパソコンも携帯もなくて、ちょっとしたことで気持ちがすれ違ってしまう。二人はそうならないよう、誰にも見つからない場所に手紙を隠してやりとりを続け、つらい気持ちを分け合うんですけど、桜子と比呂人の関係も表すように、「大吟醸のように抽出された、二人の恋愛は透き通ったもの」というセリフもあるんです。

 桜子さんは一女性とて見たら、すごく素敵な女性ですよね。純粋で芯が強くて、自分をとことん愛してくれて。もしこんな女性がいたらすぐプロポーズします(笑)。ただ、劇中ではときどき、そんな桜子が身勝手に見えてしまうときがあります。それは全て自分のためでなく、比呂人のためゆえの行動なので、やっぱり比呂人はそう思わせるだけの人物として存在しないといけない、と常々思っています。

 本当に上質な、映画にも匹敵するぐらい素敵な作品を届けたい、という気持ちで日々、比呂人を演じています。今クールで一番のラブストーリーをお見せしますので、これからも毎日、ぜひご覧ください。

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