新型コロナの影響で1年延期された東京オリンピックの聖火リレーが25日、福島県をスタートしました。
東海3県でも、4月3日から岐阜・愛知・三重の順番でリレーが行われますが、市民ランナーで愛・地球博・皆勤賞の『万博おばあちゃん』も参加予定。病気を乗り越えて聖火リレーを走ります。
聖火リレーに向け日々走るおばあちゃん。
山田さん:
「欠かしたことないです、毎日やっています」
2005年の愛・地球博で、185日間毎日会場に訪れ「万博おばあちゃん」の愛称で一躍有名になった山田外美代さんです。
あれから16年が経ち71歳になった山田さんは、4月5日に聖火ランナーとして故郷・瀬戸市を走ります。
この日見せてくれたのは、東京オリンピックの聖火ランナーの資料。25日から福島県をスタートした聖火リレーは、栃木、群馬、長野を経て、東海3県には4月3日に岐阜、5日に愛知、その後三重と回ります。
ただし、感染症対策の点からランナーはこんな注意も…。
山田さん:
「体調管理のチェックシートができて、自分の走る日にちをさかのぼって2週間はつけなさいと。走る当日にこれを提出する」
山田さんは2019年7月に愛知の一般公募に申し込み、見事地元・瀬戸市のランナーに選ばれました。
山田さんが聖火ランナーを目指したわけは…。
山田さん:
「このアルバムに、前回の(東京五輪の)開会式だけが映されているの。テレビを映しているだけなんだけど。親が『こんな素晴らしいことはないんだよ。各国から自分が力を出せるものを見出して、選手が生まれているんだからその人たちを、国を応援するためにテレビを見なさい』と言われましたね」
1964年の東京オリンピック。当時、山田さんは中学3年生。授業を打ち切ってまで、テレビの前で応援したといいます。
山田さん:
「山田佳信君というんですけど、ランナーをしたんです。今みたいに一人で走るのではなくて、一人のランナーの方の伴走として学生が参加できたんです。こんな風だったあんな風だったと教えてくれた時に、すごくやってみたいと。私も陸上部だったので、すごくうらやましかったです」
同級生で陸上部だった山田佳信さん。聖火リレーについて、こう綴っていました。
<山田佳信さん>
「ほんの数秒のことであった。しかし、青い空に立ち昇っていく聖火の煙を見たときに、聖火リレーをしたと感じた」
山田さん:
「すごいね。リレーに走れたという誇らしげな気持ちがここに出ています。偉いね、こういう気持ちで走りたいです」
そんな山田さん、本番に向けて独自の練習を行っているといいます。
山田さん:
「いつものこれを持っていかないと。これを一応トーチに見立てて、気分はトーチです」
手にしたのは、聖火リレーのトーチに見立てた、水の入ったペットボトルです。重さは1キロ弱。本物のトーチの重さは1.2キロとほぼ変わりません。
まず自宅の庭を3周走り、 密を避けて河川敷や本番に予想されるコースを走ります。
去年10月には香川、愛媛、大阪と、聖火が走るコースを自分の目で見て回りました。
しかしその数日後、突然の発熱で近くの病院に緊急搬送され、診断結果は「急性胆嚢炎」。手術が必要となりましたが…。
山田さん:
「(手術を今年の)2月にしましょうと言われたんですけど、私がランナーをやりたいと言ったら、先生が1月7日に1か月早くして下さって。手術をして頂いて『気持ちが前に向くなら、どんな協力もします』と先生が言ってくれたのが、すごく嬉しかったです」
かつての聖火ランナーへの憧れ。共に病気と闘い、走るチャンスを与えてくれた医療従事者への感謝の気持ち。様々な思いを持って、山田さんはその日を待っています。