今回のワールドカップで日本代表は、世界の強豪国と渡り合えることを証明しました。4年後やその先の日本サッカーの未来に向けて、ドイツ戦で決勝ゴールを決めた浅野拓磨選手の地元では、「新しい時代」が育っています。

 サッカー日本代表のメンバーは8日午後、首相官邸で岸田総理と面会しました。

岸田総理:
「世界中をビックリさせたと思いますし、勇気と元気を与えていただいた」

 浅野拓磨選手がオーナーを務める三重県四日市市のパン店では、本人直筆のメッセージを添えた食パンが限定で販売されました。

浅野選手の兄・晃平さん:
「拓磨が応援してくれた皆さまに、感謝の気持ちとして書かれた文章です」

 帰国後の会見で戦いを振り返った森保監督は、「新しい時代」という言葉を口にしました。

森保監督:
「『新しい景色』は見ることはできませんでしたが、選手たちが『新しい時代』を見せてくれたと思っています。しかしながら、まだまだ『新しい時代』の入り口にしか過ぎないと思っています」

 ベスト8を目指す「新しい時代」に向けて、すでに新しい芽が育ち始めています。

 三重県菰野町で活動するペルナサッカークラブ。

W杯日本代表の浅野拓磨 母校・四中工の恩師が感じていた“執念”「足の指先、爪を伸ばしてでも点を取る」

「ドーハの歓喜」に導いた浅野選手が所属していたクラブです。浅野選手は小学1年から中学卒業までの9年間、生まれ育った地元・菰野町のクラブで技術を磨きました。

 コーチの清水保博さん(54)は、浅野選手が通っていた当時も指導していました。

清水コーチ:
「飛び抜けて一番チームの中でうまかったかというと、そうでもなかったので。当時を知っている指導者は、誰もあんな風になるとは思ってないですね。プロになっただけでビックリするぐらいなので」

 浅野選手が世界へ羽ばたく礎は、このクラブで育まれました。ここでは年上の子が年下の子を教え、指導者が口を挟まないようにしています。

男の子:
「教えられる子もうまくなるし、こっちが教えていても人に優しくできたり、お互いが勉強になる」

 自ら学ぶ姿勢がサッカーの楽しさに繋がるという指導方針で、それが浅野選手の今につながっています。

清水コーチ:
「ワーワー指導者が言うと、話が耳から抜けていくようになって、サッカーが面白くなくなってくる。そうなったら続かないと思うので。一番良かったなと思うのは、サッカーを嫌いにさせなかったことかなと思います。小さいときからスーパーな選手じゃないので、努力を続けないとあそこにいられない」

 清水さんは浅野選手から招待され、11月20日からカタールに行き、ドイツ戦とコスタリカ戦の2試合を観戦したといいます。

清水コーチ:
「(ゴールが)決まった時は嬉しかったですね。足は震えるし、涙は出てくるし」

 ドイツ戦が終わって2時間が経つころ、浅野選手の家族らと一緒に直接会って浅野選手と話しました。

清水コーチ:
「軽い興奮状態になっていましたね。『ヒーローになれた』って喜んでいました。逆に『試合のないときコーチは何してるんですか?』って言われて、『いやいや、ドーハって何もすることないで。ショッピングセンター行ってばっかりや』って言いながら、ほとんどがそんな感じのたわいもない話ですね。みんなで小一時間くらい喋っていましたけど」

 ただ、0対1で敗れたコスタリカ戦の後では…。

清水コーチ:
「開き直っていました。『もうこれで勝つしかないので勝ちます』という感じで」

 ベスト8をかけたPK戦について、清水さんは「浅野選手が蹴るとは思わなかった」と振り返ります。

清水コーチ:
「子供の頃、PKというと嫌というタイプだった。『僕やめとくやめとく』というタイプだったので。『蹴るわあいつ、大丈夫かな』ってドキドキしながら(見ていた)。メンタル面でもすごく成長してますよね」

 三重県菰野町の八風中学校は、浅野選手の母校です。7日も体育館とグラウンドで子どもたちが練習していました。

八風中学校の校長:
「夜は暗いですので、夜間照明を寄贈していただいた」

 母校で練習する後輩たちのために、浅野選手はグラウンドをライトアップできる照明を寄贈していました。

八風中学校の校長:
「子供たちに夢を与えてくれますよね。頑張れば日本代表でということが身近にあるのはすごく大きいなと思います」

 シーズンがオフの時は必ずクラブに顔をだし、子供たちとサッカーを楽しんでいます。

男の子:
「浅野拓磨選手を見習って、ここで頑張って練習して、ワールドカップいきたいです」

清水コーチ:
「ビックリするほどではなかった子があそこにいくんだと。君らにもみんなにチャンスがあるよと。ずっとサッカーを楽しめる環境をつくっていきたいなと思っています」