グラブに「諦めない限り夢は続く」障がい者野球日本代表・宮下拓也さん 骨肉腫乗り越え“もう一つのWBC”へ
“もう一つのWBC”といわれる、障がい者の国際野球大会「ワールドドリームベースボール」が、2023年9月9日と10日の2日間、名古屋で開かれる。地元・名古屋のチームから選ばれた2児の父でもあるキャッチャーの男性は、「かっこいいパパ」を見せたいと意気込んでいる。
■“もう一つのWBC” 連覇狙う日本代表のキャッチャー
右手で捕って、グローブを持ち替えて投げる。
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片腕でのバッティング。
「JAPAN」のユニホームを着た彼らは、障がい者野球の日本代表だ。
2023年9月9日と10日の2日間、もう一つのWBCといわれる障がい者野球の世界大会「ワールドドリームベースボール」が、バンテリンドームナゴヤで開催される。
前回大会で優勝した日本は連覇を目指し、7月、全国から集められた日本代表の選手たちが福島県福島市で合宿を行った。
主力選手として活躍が期待されているのが、岐阜県中津川市出身の宮下拓也さんだ。背番号2のキャッチャーで、日本代表の5番バッターを任されている。
宮下拓也さん:
「やっぱり楽しいっすね。これだけのメンバーで野球できるのは勉強にもなりますし、もっと頑張らなきゃなとも思います」
日本代表に選ばれるのは今回で2度目だ。長打力のあるバッティングと、キャッチャーとしてチームを引っ張っている。
宮下さんがズボンを脱ぐと、左足には装具を着けていた。中学3年生で骨のがん、骨肉腫を患った。
宮下さん:
「骨ごと全部手術で取って、抗がん剤をしてっていう治療をした。その時に自分の骨を取って、その代わり人工関節を入れたって感じ。人工関節を入れているので、膝が90度までしか曲げられないんです。ここでロックできるので、これ以上曲がらない」
左足の太ももからスネまで、自分の骨ではない人工関節で、強く走ることはできない。
障がい者野球の特別ルールでは、バントや盗塁はなく、宮下さんのように下半身に障がいを持った選手には、打者代走が認められている。
打った後は別の選手が一塁へ走る。
■バットを降り続け…子供たちに「かっこいいパパを見せたい」
宮下さんが所属するのは、名古屋市守山区で活動する障がい者野球チーム「名古屋ビクトリー」だ。
今回、このチームからは5人が代表に選出された。
チームでバッテリーを組む藤川泰行さんも、日本代表の一人だ。藤川さんは左足が義足だ。
藤川泰行さん:
「(宮下さんは)野球の知識がレベルが違うんで、一緒に野球やっていて面白いです。配球とか、プロとか(の試合を)見ていても、宮下さんが言っていた配球とか、その通りに投げていたりする。キャッチャーの部分としては完璧やと思っているので、何もないんですけど、打たないんでね(笑)。打ってほしいですね」
宮下さん:
「何も言うことはありません…。その通りです。頑張ります」
宮下さんの今の課題はバッティングだ。結果を出すため、自宅に帰ってもバットを振り続けている。
こうして一生懸命に野球に取り組む姿を見て欲しい人がいる。息子の千昊くん(ちひろ 4)だ。
千昊くん:
「『パパー!大好きだよ』って言ってた」
宮下さん:
「言ってたの?ありがとう!」
宮下さんは、妻・佳都(よしみ)さんと…。
1歳の娘、京佳(きょうか)ちゃんの4人家族だ。
宮下さんの妻・佳都さん:
「息子は『パパのカッキ―ン、応援いきたい』とか、『頑張れしたい』って言うようになって、息子にとっていい影響を与えているのかなって感じていて。パパが足が(不自由で)走れなくても、打って投げて捕ってと野球をやっている姿を見て、今後大きくなった時に『あの時パパ頑張ってたな』っていうのを励みになればいいなって今は感じています。息抜きにしてはちょっときついけど、一番輝ける場所」
いつも応援してくれる家族に、一生懸命プレーする姿を見て欲しい。
しかし、千昊くんは応援疲れで寝てしまった。
宮下さん:
「単純にかっこいいパパだって思ってもらえればうれしい。どんな状況におかれても、諦めずにずっと一つのことをやり続けてきたっていうのが、僕の人生では大きい自負もあるので、そういったところはこれから子供にも見てもらいたいです」
■強肩強打の宮下さんを襲った病魔…父は「野球よりも生きてくれ…」
宮下さんが野球と出会ったのは保育園の頃だ。友達とのキャッチボールがきっかけだった。
夢はプロ野球選手になること。中学時代は、強肩強打のキャッチャーとして10校以上の高校から誘いがくるほどで、愛知の名門私学に進学する予定だった。
しかし中学3年生の秋、左すねに「骨肉腫」、いわゆる骨のガンが見つかった。
宮下さん:
「生きるだの死ぬだの話をされて…。なんで自分なんだろうって。野球ができない自分ってどうなるんだろうってことしか考えていなかったです」
宮下さんの父・正史さん:
「死ぬか生きるか。とりあえず生きてくれっていう、野球よりもね。かなりつらかったと思います。何もかも抜けちゃってね、髪の毛とか」
抗がん剤治療、そして足の骨を切断し摘出する大手術。医者にはもう野球は出来ないと言われた。それでも宮下さんは、野球に携わることを諦めなかった。
正史さん:
「本人が、絶対生きてまた野球をやるという、すごい意志があったんですよ」
走れないというハンデを背負いながら、高校2年で選手として復帰。
大学では学生コーチとしてチームを支えた。
社会人になって障がい者野球と出会った宮下さんは、世界大会の存在を知って「夢」が再び走り出した。
宮下さんのグラブに縫ってある刺繍「諦めない限り夢は続く」。日付は病気の診断を受けた日だ。
宮下さん:
「僕の人生、一番変わった瞬間が病気の診断を受けた時だったので。あの時の気持ちは忘れずに、野球をやりつづけたいなっていうのと、いろいろ障がいを持つ理由はありますけど、夢をあきらめずに、何かで輝きたいとか、好きな野球を続けたいとか、そういう思いをみんな持っているからこそ、こういう代表に選ばれていると思うので。夢というところは、障がいだけじゃなくて挫折した人にはすごく大切なことなんだろうなと思います」
■MVPを獲ってチームを優勝へ…どん底から世界一を目指す
日本代表の合宿では、宮下さんは積極的に声を出して盛り上げた。
足の障がいを感じさせないガッツあふれるプレーで、世界一を目指すチームを引っ張っていた。
必勝を誓い、チームで日の丸に寄せ書きをした。
宮下さん:
「『力戦奮闘』って書きました。チームを勢いづけられるような威勢のいい自分の力で、チームを盛り上げて勝ちにつなげられるように。チームはもちろん優勝というところですし、個人としても、チームが優勝するにあたって僕がMVP取るくらい活躍できれば優勝に近づくと思うので、MVP目指して頑張りたいと思います」
病気で一度はどん底を見た野球人生。
世界一を目指す仲間と共に、諦めない限り夢は続く。
2023年8月3日放送