パリオリンピックのレスリング53キロ級に出場している藤波朱理(ふじなみ・あかり)選手は、日本時間の8月9日未明、いよいよ金メダルを懸けて決勝戦に臨む。

藤波選手は三重県四日市市の出身で、ここまで、父親の俊一(としかず)さんと、二人三脚で金メダルを目指してきた。

■初めての取材から3年…親子で目指す“五輪で金”

 パリオリンピックでは準決勝でも圧勝し、公式戦の連勝記録を「136」に伸ばして決勝進出を決めた、レスリングの藤波朱理選手(20)。

準決勝を終えた直後のインタビューでは「オリンピックチャンピオンになるために今までやってきたので、金メダルを持ち帰れるように注目してください」と決勝戦に向けて強い気持ちを言葉にしていた。

初めて取材したのは2021年、藤波選手がいなべ総合学園高校の2年生の時。

【動画で見る】公式戦負けなし122連勝…レスリング藤波朱理 パリ五輪代表目指し世界選手権へ「チャレンジャーの気持ちで」

真面目でクラスメイトからも愛され、笑顔の似合う17歳だった。

しかし、マットに上がれば力がある男子部員にも果敢に攻め、当時既に公式戦負けなしの72連勝を記録していた。

いなべ総合学園のレスリング部に所属し、指導していたのは教員で藤波選手の父親、俊一さん。

Qお父さんは怖そうに見えますが
藤波選手:
「結構そうやって言われるんですけど、『絶対怖いやろ』と言われるんですけど、自分にとっては全然怖くなくて。普通こういう親子関係のスポーツだと、めっちゃ厳しくやらされたりすることが多いと思うんですけど、小さい時からのびのびとレスリングさせてもらっていて」

Q怒られたことはありますか
藤波選手:
「う~ん…お茶碗の持ち方とか?普段レスリングで怒られることがほとんどないですね」

藤波選手の父・俊一さん:
「もちろんレスリングではトップを目指してほしいですし、それと同時に他の選手から尊敬されるとか、下の選手が憧れるような選手になってほしい。家庭ではオンオフを使い分けますね。学校内ではレスリング指導とかの話はしますけど、家ではできるかぎりしないようにはしていますね」

マット上もマットから離れても、やりたいようにのびのび自由に。それが藤波家の父と娘の関係だった。

■父も教員を辞め2人で東京へ

 高校を卒業し、藤波選手が進学先に選んだのは東京の日本体育大学だった。

しかし、練習場には俊一さんの姿もあった。

俊一さんは34年間務めた教員を辞め、コーチとして誘いのあった日体大へ藤波選手と共に移った。

俊一さん:
「教員やめてまで、半端じゃないよね。覚悟が違う。技術がどうのこうのじゃないんだよね。(コーチは)他にもおるでね。そうじゃなくて、大学へ行ったりとか、そういうマネージメントの問題やね。色々なナショナルの練習でもそうだし、おらなきゃね、行かなきゃだめかなというのはあるね」

レスリングの技術だけではなく、オリンピックへ挑む環境を万全に整えたいというのが俊一さんの想いだった。

父の影響で4歳から始めたレスリング。

4歳で初めての全国大会に出場し、ホームビデオには負けて泣く姿も残っていた。

始めた頃はなかなか勝てず、泣くことも多かったというが、俊一さんは怒ることはなく、藤波選手にいつもやりたい道を選ばせてくれたという。

藤波選手:
「『やりたかったらやれ、そのかわりやらなかったら負けるぞ』みたいな。のびのびとさせてくれている感じです」

負けず嫌いだった藤波選手は、次第に自ら指導を乞うようになり、パリオリンピックで優勝することが目標になった。

Q俊一さんはどんな存在ですか
藤波選手:
「おらんかったら、父が父じゃなったら自分はどうしていたんだろう、どうなっていたんだろうと思うくらい、本当に心強い存在ですね」

■五輪開幕直前に大ケガ…背中を押してくれた地元の声援

 そして世界選手権で優勝し、パリオリンピックへの出場を決めたが、2024年3月、練習中に左ひじを脱臼し、手術した。

藤波選手:
「パリオリンピックどうしよう、オリンピック間に合うかなと直後は思って。ひじも過去最大の痛みでしたし、心の方も最大の痛みというか。レスリングができなかった期間というのは、すごく考えるものもたくさんありましたし」

俊一さん:
「私はたまたまその時、三重県の方に業務のためにいなくて、電話で連絡を受けました。予想より早く回復しているんじゃないかということで、月末には軽くレスリングも練習に入れるということで」

パリ五輪まで残りわずか。不安のなか背中を押してくれたのが、ふるさと・四日市市からの大声援だった。

藤波選手:
「ここまで来るまでに、1人では絶対たどり着けなかったですし、ケガを通して改めてそれを実感しました。(父と)ずっといるので鬱陶しいなと思うこともあるんですけど、自分のことを一番に考えてくれていて感謝していますし、勝って恩返ししたいという気持ちです」

■二人三脚で目指した物語はいよいよクライマックスへ

 多くの人に支えられ、迎えたパリ五輪。藤波選手は圧勝で決勝へ突き進んだ。準決勝では、中国の選手で東京五輪の銀メダリストを10対0と寄せ付けつけず、中学2年生の時から続く連勝記録を「136」に伸ばした。

俊一さん:
「てっぺん見たいね、ここまで来たらね。決勝の相手も4度目になるのかな?去年の世界選手権でも戦っていますしね。頑張って勝ちたいと思います」

藤波選手:
「自分が小さいころ、沙保里さんとお父様がしていたように、肩車という姿はすごい憧れますし、自分も優勝したらぜひやりたいなと」

夢の舞台で父と肩車を。8月9日未明、いよいよ藤波選手の夢が結実する。

藤波選手:
「ここまでしっかり勝てたので、本当にオリンピックチャンピオンになるためにここに私は来たので、しっかり明日集中して、自分のレスリングをして、必ず世界チャンピオン、いやオリンピックチャンピオンになりたいと思います」