東日本大震災報道を経験して

3月22日まで5日間、フジテレビ系列の災害報道クルーとして

福島県南部を中心に中継・取材をしました。

 

現地入りするまでは、

被災者の方にマイクを向けること、

何を伝えることが現地の人たちに役立つのか、

・・・いろいろ不安で仕方がありませんでした。

 

その不安を払しょくしてくれたのが、

中継先の避難所でボランティアとして働いていた秋元活廣さんです。

 

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地震発生時に福島第一原発でクレーン作業をしていたそうで、

当初、まさかこれほどの事態になるとは思っていなかったそうです。

 

屋内待避対象地区である川内村在住。

原発問題による風評被害などもあり、物資が届きにくかった川内村では

村全体で避難してきたそうです。

つまり、ご自身も避難者の一人。

にもかかわらず、『自分は家族も家も無事だった。他の人に比べれば大丈夫』と

ボランティア活動をされていました。

 

私がその避難所を取材したのは、

すでに震災から1週間が過ぎた頃。

避難所の方々は、原発問題への不安、噂が噂をよんでの疑心暗鬼を生じ、

いつ収束するかもわからない現状にストレスを感じていました。

 

そんな方々のよき話し相手になって不安を少しでも和らげようとしたり、

同じボランティアに対しても『休んでるか? ご飯食べたか?』など気配りを忘れず、

さらには、われわれ取材クルーにも

『連日ご苦労様です。頑張ってください』との言葉。

 

・・・苦労されているのは我々ではなく、ご自身のはずなのに・・・

 

『暗くしていても復興の兆しが見えない』と

常に笑顔を絶やさず秋元さんの姿に、

情けない話ですが私も勇気づけられ、

自分が何を悩んでいたのかと、不安も一蹴されました。

 

いまなお、現地では食料、医療品、燃料などが不足し、

手つかずになっている被災地も多々あります。

水、土壌の問題なども考えると

復興への道のりは並大抵のことではないと想像できます。

 

名古屋に戻ってきた今、自分に何ができるのか?

報道に携わるものとして、そして、ひとりの人間として・・・