- もともと雫井脩介さんが書かれた原作のファンだそうですね。
- 発売して間もない頃に読みました。私は登場人物のことをビジュアル化して、小説を映像として読み進めるタイプで、当時武内のことをユースケ(・サンタマリア)さんでイメージしていたんです。だから今回、『火の粉』が連ドラ化されると聞き、それだけでも楽しみだったのに、ユースケさんが武内役と知り、『え~、そんなことあるの⁉』とビックリしちゃって。
- なぜ武内のビジュアルとして、ユースケさんの顔が浮かんだのですか?
- 清潔感があって繊細で人懐っこいけれど、怒らせたら怖い。何かを秘めている。そういう多面性のある人物の機微を演じられるのはユースケさんしかいない、と思ったんです。ユースケさんとは04年に連ドラで一度ご一緒したことがあり、とても魅力的な役者さんでした。表情の一つ一つに引き込まれたんです。以来、『また共演したい』と思っていて、12年ぶりにその願いが叶いました。
- 原作のどんなところに魅力を感じましたか?
- 怖い話ですよね。それが第一印象です。おもしろいのが、この小説って読むときのコンディションによって、受け止め方が全然違うんです。というのも、純粋な気持ちで読むと武内が犯人じゃない、と信じたくなるんですが、自分に後ろめたいことがあったり、心がとげとげしくなっていたりすると、読んでいて『絶対、犯人は武内だよ』と思ってしまう。読んでいるときの精神状態が感想に反映されるというか、そのときの自分が映し出される作品ですね。
- ドラマ『火の粉』はいかがですか?
- 台本を第1話から読んで、武内がいかにも怪しいので驚きました。その描き方が原作と違っていたので、小説を斬新な視点で捉えた『火の粉』になっている、と思いました。読み進めると、結局武内が犯人なのかどうか、分からない。出だしが原作と違う分、様々な想像ができるのもドラマ化する意味があるし、醍醐味だなと。また琴音はじめ、ドラマオリジナルのキャラクターも登場していますが、しっかりその意味が感じられたし、よく練られたドラマだと思って引きこまれました。
- ご自身の出演が決まったときの感想は?
- それも本当にビックリしたことですが、もしこの作品が映像化されるとしたら、私は杏子を演じたいと思っていたんです。強烈に印象に残っていたので。『火の粉』のドラマ化、武内を演じるのがユースケさん、私の役が杏子、とその度に驚きました(笑)
- すっかり武内に心酔している尋恵を演じる朝加真由美さんは「尋恵は武内教の信者」とおっしゃっていました。杏子も同じように、信じる力の強い女性ですよね。
- そういうことって、普段の生活でもありませんか? 特別なことじゃない気がします。人はいつも誰かの信者です。母親のことを信じ切っていたり、恩師の言うことは絶対だったり、好きな作家、例えば太宰治に心酔していたり…。自分の中に信じるものの象徴となる人っているもので、杏子の場合は“あの人”なんですよね…。
- 小説を読み、ユースケさんが演じる武内を見て、改めてどう思いますか?
- 可哀想だと、哀れだと思います。だからと言って、決して同情してはいけない人。人は善にも悪にもなれます。武内はそんな“一歩間違えてしまったら”の最たる人物だと思います。根本的に話が通じない人ですし、彼の行動には悪意がないから、困ってしまいますね。いろんなことをするけれど、仕掛けよう、陥れようではなく、あくまで幸福を求めての行動が最悪の結果になってしまう。和解するのは永久に不可能だし、どこまで行っても平行線をたどる気がします。
- そんな武内に“救い”ってあるのでしょうか?
- あると思います。武内だけの“救い”を考えれば。ただ、それを共有できる人がいるかはわかりません。武内は一つ一つ行動を起こしては、その都度幸福を感じて、そのあとに共有できないことが一つでも見つかると強烈な悲しみに襲われる。だから、自分のセオリーに当てはまらにない人間は絶対に許せない。でも悲しむことも彼にとっては、必要なことなんでしょうね。禍福はあざなえる縄のごとし、ということを無意識のうちに感じ取っているのかもしれません。それも極端すぎるほどに。幸福と絶望の繰り返しの人生ですね。悲しい出来事があると、また他者と幸せになりたくて、行動を開始する。きっと、誰かに認められたい、という承認欲求のかたまりのような人で、それが武内を突き動かしているのだと思います。
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