孤高の席亭、足立秀夫さん

いつも演芸場の入口の椅子が指定席、丸いお腹にトレーナー。

気づいてくれるまでは"強面?"ですが、

「お~来たか~」と声を掛けて下されば、あとは優しい笑顔!

そう、ご存じ大須演芸場の顔、足立秀夫席亭です。

 

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半世紀もの間、幾度も存亡の危機を乗り越えてきた

名古屋でただ一つの常打ち寄席「大須演芸場」

ついに、本当に!!幕を降ろす時がやって来ました。

 

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私がこの世に生を受ける3年前の昭和37年に生まれたこの演芸場には、

特別の思いがあります。

その一つはアナウンサー受験を前に、

名古屋を何も知らないアナウンス学校の仲間とこの地を訪れ、

とりあえず大須にでも行ってみようと演芸場の前を通りかかったところ、

当時出演していた、アサダ二世というマジシャンに招き入れられ

初めて足立席亭と話をする機会に恵まれました。

そこで色々と名古屋の情報を仕入れて試験に臨んだところ、

訪ねた3人ともアナウンサーに内定しました。

足立席亭はその事をとても喜んでくれて、

それ以来のお付き合いになります。

 

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不思議なご縁はさらに続き、昭和63年に入社した私が

研修を経て初めてニュースの中継をしたのが、大須演芸場。

私がアナウンサー人生を歩み始めた地でもあるのです。

 

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昭和48年に席亭になった足立さんは、

もとは大阪で財をなし芸人たちと豪遊する日々でした。

そこへ経営難に陥っていた当時の大須演芸場から

席亭になってくれないかと話があり、

一念発起、引き受けました。

 

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<演芸場を支え続けた、古今亭志ん朝師匠と、足立席亭>

 

ビートたけしさんや明石家さんまさんも下積み時代、

大須の高座で鍛えられましたが、不入りが続いたのはご承知の通り・・・

席亭は自ら講演をして、興行収入を補ったりもしました。

幾度の危機を乗り越えた「大須演芸場」もついに明け渡し・・・

 

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<最後の演者表になるのか・・・>

 

80歳を迎える席亭にその後を伺うと

「電話1本あれば、寄席は出来る。まだ誰にも、長い間お世話になりましたとは言っとらん!」

と一喝。

意気軒昂で、ほっとしました・・・